cry for the sky
空を飛んだら、
――少しだけでも、分かるかもしれないって。
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「溝口さん、空を飛んだことってある?」
「…あん?」
ふらりと喫茶楽園にやって来た真矢は、唐突にそう問いかけた。
島内に他に喫茶店が無い為か、それなりに客の入りがある店なのだが、この時は真矢しかいなかった。
――むしろ誰もいない時を見計らって真矢が来たと言うべきか。
真矢は注文したカフェオレのカップに視線を落としている。嬢ちゃん?と声を掛けてもそのまま。常ならぬ様子に若干戸惑い、溝口はぼりぼりと頭を掻いた。
「空、ねぇ。飛行機ならそれなりに乗ったことはあるけどな」
「そうじゃないの。飛行機とかじゃなくて、その…」
「生身の体でか? そりゃムチャな相談だぜ、嬢ちゃん。人間の体は飛べるように出来てないんだ」
「…そうだよね」
ぽつりと呟き、真矢は押し黙った。表情だけは常とか変わらぬ様を取り繕っているが、作っているだけというのが丸分かりだ。
何で真壁の坊主の方じゃなくて俺の所に来るかねぇ。内心そうひとりごちて、溝口は真矢の頭に手を載せた。ぽんぽんと、子供をあやすように。
ぽたり。
テーブルに水滴が落ちる音。
ぽたり、ぽたり。
2つ、3つと続いても、溝口は黙って頭を撫で続けた。
「…今日、マークジーベンで、空を飛んだの」
「そうか」
真矢たちパイロットの訓練スケジュールは頭に入れていたが、溝口は初めて聞くように相槌を打った。
「シュミレーションはしてたけど、本当に飛ぶのは、初めてだった」
「そっか」
真矢の駆るマークジーベンは空戦用のマークゼクスと同型機だが、飛行ユニットの実装はずっと見送られていた。最終調整が終わりパイロットの訓練メニューが終わり、本日ようやく飛行実験が行われたのだった。
「…すごく、飛べたよ。すごくすごく上まで。雲の上まで」
ぽつりぽつりと、嗚咽を堪えながら紡がれる声。
溝口は真矢が何故泣いているのか、もう察している。だのにかけてやる言葉はない。溝口ばかりではない、おそらくは他の誰でも。
「…翔子が死んだ空まで、飛べたんだ」
「…そっか」
ぽん、と少しだけ強く叩く。何でもないフリをして。
今日はあの娘の命日じゃない、誕生日でもない。溝口が知る限り、特別でも何でもない日のはずだ。それでも真矢がこんなにも涙を流すのは、やはり特別だからだろう。親友が戦い散った、あの空まで飛ぶことは。
人間の体は飛べるようには出来ていない。だがファフナーは飛行ユニットさえ付けてやれば、どこまでも飛べる。そして、ファフナーのパイロットもまた。ファフナーと同調し感覚を共有する彼らは、自分の身1つで飛ぶということを実感することが出来る。今日、真矢が飛んだように。
「…あたし、分からなかった…」
「あん? 何がだ」
「翔子の気持ち。同じ空まで飛んだら少しは分かるかなって思ったのに、全然…。分からな…」
最後は嗚咽に掻き消された。少しだけ時間を取って、もう一度少しだけ強く、ぽん、と真矢の頭を叩いた。
「そりゃな、考えたって仕方ねぇよ。どうしたって嬢ちゃんはあの子と別人なんだし、そもそも同じ空ってだけで他の状況が違いすぎる。分かろうって方がムチャだ」
「でも…っ!」
「でもも何もねぇよ。俺だって何人もダチを死なせてる。けど、そいつらが死んだのと変わらない状況になったって、死ぬ瞬間にそいつらが何考えてたかなんて分かりゃしなかったぜ。結局違う人間って時点で同じ状況になっても考えることは全く違ってくるんだ、完全に理解しようって方がムチャなんだよ」
「そんな言い方…っ!」
「でもま、分かろうって気持ちは悪くねぇけどな」
え、と険が緩む。溝口は真矢の頭から手を離してカウンターに戻った。カチカチ、と何かの機械を動かす音。やがて豊潤なコーヒーの香りが漂ってくる。
「どうしようもないことでも、無駄なことじゃあないさ。そうやって思い出してやること自体が供養になるんだろうよ。俺はもうそーゆーのは通り越しちまったけどな、嬢ちゃんは泣いてやるといい」
抽出されたエスプレッソにたっぷりの牛乳を注ぎ、冷め切ってしまったカップの代わりに2杯目を差し出してくれた。特別サービスだからな、と小さく添えて。
「…うん」
「ちゃんと味わって飲めよ、嬢ちゃん」
「うん…」
真矢は2杯目のカフェオレをいつになく真剣に味わった。それはとても甘くてとても苦くて、もう一滴だけぽたりと落ちた。
「しかしな、何だって嬢ちゃんは俺のとこに来たんだ?」
「え、えっと。溝口さんなら暇かなって」
だって誰もいないし、と真矢以外は誰もいない店内をぐるりと見回す。
「普段はもっと客入ってるんだよ、今日は特別。
そーゆーことじゃなくてな、こーゆーのは真壁の坊主の所にでも行けばいいだろうが」
「ムリだよ。だって真壁くんは…翔子のこと、すごく気にしてるから…」
もっと早く辿り着いていたら、死なせずにすんだのに。
一騎が翔子の死を悼む自責の念は強い。真矢は翔子の死が一騎のせいだなんて一度も思ったことはないが、かといって、翔子のことで泣きに行くには躊躇いがある。ごめん、などと謝られてしまっては、真矢はどう応えていいのか分からない。
「アイツもなぁ、色々と抱え込む奴だから…。無駄に父親に似やがってからに」
溝口とは旧知の仲である一騎の父親もその点ではよく似ていた。親子だから当たり前と言えるのかもしれないが、溝口としては似てくれても嬉しくない部分だ。
「…まぁ、なんだ。悪いことは言わねぇから、次からは真壁の坊主のとこにしとけ。女の涙ってのは武器なんだからな、簡単に好きな男以外の前で見せるもんじゃねぇぞ?」
「なっ…! 何言ってるの、溝口さん!」
好…だなんて!
赤く食って掛かる真矢に、溝口はぽんぽん、とまた頭を叩いた。今度は完全な子供扱いで。
「うっかり俺なんかに見せて、俺が嬢ちゃんに惚れちまったら大変だろうが」
「…何バカなこと言ってるの、溝口さん」
そんなことあるわけないでしょ。むくれて口を尖らせる真矢に聞こえないように、溝口は口の中だけで呟く。
分かってねぇなあ。
そんなことがあるから、女ってのはガキでも侮れねぇんだよ。