心地良い春の日差し、サラサラと穏やかな流れの川のせせらぎ。
パチパチと炎が爆ぜる音と川魚が焼けていく臭いさえなければ最高の昼なんじゃがなあ、と邪見がいつもの溜息をつく、いつものお昼時。
邪見の横で火を見ていたりんが、唐突にとんでもない事を言ってくれた。
「ねえ邪見さま。殺生丸さまってりんのこと好きでいてくれてるのかなあ?」
邪見がすっ転んで頭をぶつけて涙しても邪見を責められる者などいないだろう。
りんは邪見の顔をのぞき込んで「邪見さま大丈夫ー?」などといつもの調子で声を掛けてきた。
「おおおぬし、本気で言っとるのか!?」
「え? あ、うん」
ちろり、とりんは殺生丸のいる方向に目を向けた。それは殺生丸に気付かれないように一瞬だけで、だってね、と邪見にだけ聞こえるように小声で話しだす。
「りんは殺生丸さまが大好きなの」
そんなことわしでなくとも知っとるわい。
「きれいだし強いし、すっごく優しいもん」
きれいと強いはともかく、殺生丸さまが「すっごく優しい」方なわけがなかろうがっ。そんなもの見せるのはお前にだけじゃ!
「だからね、りんはずっと殺生丸さまと一緒にいたいの。でも殺生丸さまがりんのこと好きじゃなかったら…その、もし嫌いだったら、迷惑になっちゃうかなって」
どこをどう考えれば殺生丸さまがお前を嫌っとるなどと思いつくんじゃ!? 殺生丸さまは嫌いなモノは即瞬殺じゃろうがー!
…長年お仕えしているわしでさえ、何回足蹴にされたことやら…。
「だから、殺生丸さまはりんのことどう思ってるのかなあって思ったの」
…頭が痛いわい…。
「あれ、邪見さまどうしたの。こけた時に頭打った?」
血は出てないよね、と呑気な調子のりんが邪見の頭痛を理解する日など一生来ないのだろう。
…いや、りんとて何も能天気なばかりではない。詳しいことは聞いていない邪見でもりんの半生が「まとも」でなかったのは薄々察している。
邪見が初めてりんを見た時の怪我を思い出しても
――大半は狼の噛み傷だったが、顔などに明らかに人の手で殴られた痣が残っていた
――、とても幸せそうだったとは言えない。
だからこそ、りんはりんなりに今の幸せを守ろうと必死なのだろう。死の淵から助けてくれた大好きな妖怪といつまでもいつまでも一緒にいたい、そう願うのも当然と言える。
――が。やはり邪見には理解不能だった。
どーーー考えても、殺生丸さまがりんを好いていないはずがなかろうが、と。
何しろ多分に寡黙な主のこと。何のつもりでりんを生き返らせ、そしてその後も連れ歩いているのかなど、邪見には皆目見当が付かない。それでも元々の人間嫌いを考えれば今の状況は正に青天の霹靂。実は本当の邪見は眠りっぱなしで長い長い夢の話でしたーと言われてもあっさり納得するだろう。
その殺生丸が。一度助けたばかりでなく、何度も何度も凛を助け大切にしている殺生丸が。どうしてりんを嫌っているなどと考え付くんじゃ、と。
邪見は恐る恐る主を振り返った。2人から離れた所で佇んでいる。りんは殺生丸に聞かれないようにと小声で話していたのだが
――この距離で殺生丸さまに聞こえないはずがない。鼻も耳も常人の何倍も利くのだから。
(ああああありんのバカたれがあああああ!)
今の所殺生丸に変わった様子は無い。…とは言え、邪見を川に蹴り落とす瞬間も眉1つ動かさない主のことだ。内心では何を考えているのか邪見には到底窺い知れない。
どうしたものか…と邪見が頭を抱えていると、不意に殺生丸の視線がこちらを向いた。
「!?」
またお叱りをいただくのか!?と邪見は瞬時に背筋を正す。だが殺生丸の目は邪見ではなくりんを映していた。
「りん」
「はいっ」
りんも同じく背筋を正して
――もっともりんは邪見の真似をしているだけだが
――殺生丸を見詰める。なんだろ、と殺生丸の言葉を待つまでもなく、りんは殺生丸のかすかに歪められた表情に気が付き
――そして、自分は今魚を焼いていたことを思い出した。
「あー!? 焦げてるー!」
邪見と話し込んでいる内に芳しいを通り越して焦げ臭くなっていた。美味しい焦げ目どころではない。火に近い魚など真っ黒だ。
慌てて火から離しても後の祭り。結局りんは昼食をかなり少なくする羽目になってしまったのだった。
その日は太陽が落ちると急に冷え込んできた。まだ本格的な寒波の来る季節ではないが、羽織る物もなく眠るには冷えすぎている。阿吽の近くだと暖かいかな、とりんは思案していて、不意に大木の根元に腰を下ろしている殺生丸が目に止まった。
ふかふかの毛皮が気になった。
断られませんように、嫌がられませんように、と弱冠の恐れを隠して、りんは殺生丸に駆け寄った。
「殺生丸さま、そのふわふわに触っていい?」
「……好きにしろ」
わ、と破顔一笑。そっと触れた銀色の毛並みはりんの想像通りの暖かさだった。
「やわらかーい」
ぽふ、と抱き締めた拍子に転んでしまったが、殺生丸の右手がりんを支えた。
冷えた体に柔らかな毛並みは暖かく、支えてくれた手は優しい。とろけるような幸福感にりんは睡魔に襲われる。
こんな所で寝ちゃダメ、殺生丸さまのお邪魔になっちゃう、と理性が押し止めるもののさしたる効果もなく。恍惚の眠りに入ろうという時、世界で1番大好きな声が落とされた。
「
――言葉が必要か」
「
――え?」
半分以上働きを止めた頭では何を意図しているのか瞬時に察することが出来ず。たっぷり1分近くも考えた後、昼の邪見との内緒話のことだと思いついた。
殺生丸の目はりんを見ておらず、右手も既に離れていた。それでもりんの五感全てに殺生丸を感じられた。
だからりんは、満面の笑顔で首を横に振り、そして当たり前すぎる言葉を紡ぐ。
「殺生丸さま、大好き」