意地っ張りの涙。






 マイアは呆っと波を眺めていた。
 ジーコがどうとか、ファンはまた妙なことをとか、ざわざわと背後は騒がしい。出航準備も重なって全員が東奔西走している。細々したことならマイアにも手伝えることはあるはずだった。しかしマイアは手伝いを申し出ず、黙って海を眺めていた。
 基本的に態々マイアが手伝わなければ立ち行かない仕事などないし、今マイアがそうしている理由も皆が分かっている。だから誰もマイアに声をかけようとはしなかった。
 或いはメルダーザがいたなら、彼女ならマイアに話しかけようとしてくれたかもしれない。ある種マイアと同じ立場の彼女なら。しかし彼女がヴェダイとこの8番艦を下りて既に久しい。8番艦の乗員で唯一の女性であるマイア、その気持ちを分かち合ってくれる人はもういない。

 と、不意に頭に重量がかかった。
 ぽん、と軽快な音を立てて、トゥバンの手が置かれたのだった。


「トゥバン?」


 何、と問う視線には答えず、トゥバンはマイアの頭をよしよしと撫でた。まるで拗ねた子どもをあやすみたいに。


「何、トゥバン…」
「1人で拗ねるくらいなら、我慢せずに吐き出す方がいい」
「…」


 ふ、とマイアは眉を顰めた。トゥバンはまるで父親のようなことを言う。


「トゥバンはすぐに私を甘やかす…」
「お前は自分から甘えてこないから問題ない」


 マイアはふいっと視線を波に戻した。全部見透かされているような気がして落ち着かない。だがそれはとても心地よい気分だった。


「…ファンが誰と結婚しても、私には関係ないわ」
「そうか?」
「そうよ。…私とはただの取引だもの」


『お前の体で払う…というのはどうだ?』
 対価はと問うたマイアに、ファンはそう答えた。そしてマイアはそれに応じた。
 だからマイアの体にはファンの予約が入っている。しかしそれは婚約などと言った話とは全く違うものだ。マイアの願いを叶える対価、金銭の代わりでしかない。
 マイアとて不思議に思ったことが無い訳ではない。確かにあの取引はファンから言い出した、そしてマイアはそれに応じた。取引としては確かに成立している。だがこれまでファンが行ってきたことを思えば、到底マイアの体1つで賄えるものではない。

 どうしてこんなにしてくれるの――

 何度も頭を掠め、その度に飲み込んできた言葉だ。理由を知りたい、だけど知るのは怖い。だからずっと封じてきた。ファンが何も言わないのをいいことに甘えてきた。これはそのツケだろうか。

 マイアとて王族の生まれだ。国家同士・部族間の和平における首長同士の結婚が政略的にどれ程の価値を有するかは重々理解している。それが長年対立してきた部族間だと尚更。
 ジーゴ一族の首長の娘と、海の一族の大海帥。決してつり合わない結婚ではない。ファンが本気で結婚するつもりなのかは分からない。あくまでジーゴの信を得る為の仮処置という可能性もある。
 だが今のところは仮という話でも、今後も海の一族と共に歩むつもりなら、ジーゴは近い将来正式に打診してくるだろう。
 ファンはあの女と結婚することになるだろう。

 マイアの想いなど、置き去りにして。


「私には関係ないもの…」


 マイアに闘う理由は持てない、それなら諦める強さが欲しい。
 言葉とは裏腹に頬を伝う涙。トゥバンはもう一度金色の頭を撫でて、何も見ない振りをしてくれた。






全てを突き放せたら、
泣かずにいられるのに。






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