あの出会いさえなければ。
 あの時出会わなければ。

 ただ憎んだままでいられたのに。







陰の中の陽、陽の中の陰







 鮮明な夕日が窓から差し込んでいた。
 薄手のカーテンに和らげられた光はやさしく、白い肌を茜色に染めている。他に何も音のない部屋で、すぅすぅと、規則正しい寝息だけが洩れていた。

 眠っていたよかったと、ネジは安堵した。
 話したいことがって来たのではない。ただ姿を見たかっただけでもない。
 理由の判らない義務感に急かされて、やって来たのだ。

 個室を宛がわれているのは家柄ゆえか、それとも病状ゆえか。約一ヶ月前の中忍試験予選で負った怪我は、とても一ヶ月やそこらでは治るはずのないものだったはずだ。
 それにもかかわらず、彼女は本選を見学にきていた。
 それは一体何のためか。わざわざ医師の特別許可まで取り付けてまで見たかったものは、――応援したかった者、は。

 知らず知らずのうちに握りこんでいた拳が、ぎ、と音を立てた。我に返って手のひらを見遣ると、赤く爪痕がついている。


(何を…)


 何を、動揺しているのだろう。なぜ自分が憤らなくてはなら ないのだ。
 この少女が金髪の少年――自分の対戦相手だった彼を好いて いることくらい、誰でも知っていることではないか。

 今まで何とも思っていなかった。宗家の落ちこぼれとアカデ ミーの落ちこぼれ同士で馴れ合いでもしているがいいと、見下 してすらいたのだ。

 それなのに。今更こんなことが気にかかってくるのは―― きっと。


 ――何故。
 何故、今頃になって、侘びるのだ。


 本選の敗戦後に語られた真実。
 父は宗家に殺されたのではなく、兄の、日向の、木の葉のために、自ら死を選んだのだと。
 父の仇だと憎悪していた伯父がずっと、罪の意識にさい悩ま されていたのだと。

 宗家の当主がたかだか分家の俺に頭を下げるなど。


 ――やめろ。やめてくれ。今更そんなことを言うな。


 父が納得して死んだというのなら、今まで俺が信じてきたも のは何だったんだ。
 見当違いの恨みを抱いて、見当違いの相手を憎んで。
 全て封じて、消し去ってしまおうと――


「…ん…」


 わずかな身じろぎに、全身を硬直させる。
 目が覚めたのかと思ったが、ただの寝返りだったらしい。再 び規則正しい寝息が聞こえるようになるまで時間はかからなか った。


 ――目覚めないでくれ。


 何も見ないで、何も変わらないままでいてくれ。
 宗家の嫡出なのに弱々しく、意気地のない子供のままでいて 欲しい。
 それなら俺は憎んでいられる。宗家に産まれたくせにと、侮 蔑したままでいられる。


 ――目覚めさせないでくれ。


 何も見せるな、何も変わらせるな。
 一度は封じた感情を目覚めさせないでくれ。
 憎んだままで、封じたままでいたいんだ。


 この病室で眠る少女を、自分が殺そうとした少女を、愛しい と思う気持ちなど。


 今更解放など、できるはずがない。






『…はじめまして…』


 人見知りが激しいのだろうか。父親の後ろに隠れて、蚊の鳴 くような声だった。
 もじもじと戸惑う姿はとても愛らしくて、笑ったらもっと可 愛いんだろうなと思った。だから隣に立つ父上に言った。


『かわいらしい子ですね、父上』


 正直な感想だった。弱々しい感は拭えないが、守ってやりた いと思えるほど、可愛らしい女の子だったんだ。父上もきっと 同意してくれると思っていた。なのに。

 父上は同意してくれなかった。ただ苦笑していた。
 父上は理解していたのだ、宗家と分家の関係を。あの子と俺 がどのようか関係になるかを。


 だけど当時の俺はそんなことは何も知らないでいて。
 ただ1つ年下の従妹が可愛いと。…愛しいと。


 後になかったことにしたくなる出会いを、素直に喜んでいた のだ。








知らなかったら、もっと。
知らずにいられたら、ずっと。






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