騎士と姫君





「はー…」


 用意された部屋に入るや否や、カガリはソファに倒れ込んだ。ドレスに皺が出来るのも構わず肘置きにもたれかかる。彼女の世話係が見たらまたお小言の1つでも出てきそうな光景だが、アスランは苦笑するにとどまっていた。


「お疲れ様、だな」
「ああ、ああ。疲れたさ」


 最早声を荒げる気力すらないらしい。カガリはぐったりとしたいかにも面倒と言う手つきで、きつく結い上げていた髪に手を差し入れた。


「もう嫌だ。ドレスもハイヒールもご免だ。愛想笑いなんかしながらワルツなんか踊りたくない。家柄と顔だけの頭スッカラカン男の相手なんか馬鹿らしい」


 無造作にポイポイと捨てられる髪飾りをアスランは一つ一つ丁寧に拾っていった。普段なら文句の1つでも言う所だが今日ばかりは大目に見ようと決めている。全部の髪飾りを取り終えるとカガリは髪を乱暴にかき乱した。美容師がフォームできっちりと固めた髪は、一気に寝起きのようにぼさぼさになった。


「カガリ。へばるのはいいがせめてまともに座りなおせ。またマーナさんからお小言を貰うぞ?」
「やだ。もう動きたくない」


 どうやら本格的に我侭を言うことに決めたらしい。仕方ないな、とアスランは苦笑を深くして、備え付けの冷蔵庫からお茶を取り出してカガリに手渡した。500ml入っているボトルは喉が乾いていると言うよりも半ば自棄を起こしたようなスピードで一気に飲み干される。


「…凄いな」
「あんな甘ったるいカクテルばっかり飲まされてみろ、お前もこうなるさ」
「遠慮しておく。俺はお前の随員なんだ、護衛が酔う訳にはいかないだろう」
「…それがずるいんだ、お前はっ!」


 がばっと急にカガリは上半身を起こした。ソファにもたれこんでいたのは5分も経っていないが、既にドレスのスカートには皺が出来ている。八つ当たりの捌け口を見つけて何処か生き生きとしているようにも見えるカガリを見下ろしつつ、アスランはお小言決定だな、などと考えた。


「私が接待やらダンスやらで四苦八苦しているのに、お前はガードだからって壁の花をしてるなんてずるいじゃないか! 随員なら私が困っていたら助けろ! 今日なんか何回も触られたんだぞ!? 嫌がってるのが分かんないのかよ、あのボンクラ…!」
「仕方ないだろう、それが今のお前の立場なんだから。
 …俺だって出来るならあの男を殴り倒していたよ」
「って、え? 殴…?」


 思いがけない乱暴な物言いに、カガリの方がたじろいだ。

 夜会などに出席するカガリを狙って近付いて来る者は多い。有力な中立国オーブの代表と婚姻を結んだ場合のメリットは大きく、それを差し引いても、ドレスを身にまとって正装したカガリは一種独特の美しさを誇る。
 アスランにとって随員として同行した先でカガリのドレス姿を見れるのは非情に目の保養だが、同時に随員でしかないから堂々と彼女の手を取れないのは非情に口惜しいことだった。特に今日のように、親の権力と財力を自分の魅力と勘違いしている馬鹿がいる時は。


(実はコワい奴だったのか、こいつ…?)


 完全に引いてしまったカガリに、アスランはくすりと漏らした。さっきまでの勢いは何処に行ったのやら。


「俺も人並みに嫉妬くらいはするさ」
「本当に人並みか、それ…?」
「いいから足を出せ。辛いんだろう?」
「?」


 カガリが言われるままに足を差し出すと、アスランは丁寧に靴を脱がせた。ダンスも踊れるようにあまりヒールはきつくない。カサブランカを模した花が添えてある白い靴はソファの脇に揃えて置かれた。自由になった白く小さな足には数ヶ所赤くなっている部分があった。慣れない靴に擦れてしまったのだろう、酷い所では皮の剥けている箇所さえあった。
 やがてアスランは片足を両手で包み込み、足首から下を揉み解し始める。


(あ、気持ちいい)


 素足が空気に触れてひやりとして心地いい。固まった足から徐々に疲れが取れていくのが分かって、カガリは自然と目を閉じていた。まるで騎士を従属させている姫君のような格好で、妙な気恥ずかしさを感じていたが、気持ち良さの方が勝っていたのでカガリはされるがままにしておくことにした。


「…かなり疲れてるみたいだな」
「お前も1日ハイヒールで歩き回ってみろ。私の気持ちが解るぞ」
「いや、遠慮する」


 大体俺に合うサイズのハイヒールなんかないだろうと反論されたが、カガリはアスランのハイヒール姿を想像してくすくす笑った。
 サイズがなければ注文してやればいいし、ハイヒールだけじゃなくて服も女装させたらさぞかし面白そうだ。今度ラクスに相談してみよう。ああ、何ならキラも一緒に女装させてみるのもいいな…。

 カガリが脳内で危険なプランを練り上げているとも露知らず、アスランは片方の足に持ち替えた。同様の手つきで足の裏のツボを刺激する。
 カガリは至極幸せそうに、んー、などと意味を成さない言葉を漏らしていたが、いつの間にかそれも聞こえなくなった。規則的な吐息ばかりが聞こえるようになったのでアスランが見上げてみると、カガリはすっかり寝入ってしまっていた。


「こら、カガリ。こんな所で寝るな。せめてドレスは脱いでから…」


 とは言っても、目の前で脱がれたら困るどころではなくなるが。
 軽く頬を叩かれてもカガリに目覚める気配は全く見られない。仕方なくアスランはカガリを抱き上げ、隣接するベッドルームに運んだ。ベッドにそっと横たわらせてシーツをかける。本当ならドレスは脱がした方が良いが、さすがにアスランにそこまでは出来なかった。彼の理性の問題もあるし、何より翌朝彼女が目覚めた時の反応が怖ろしい。

 早々に出て行ってしまおうと体を起こしかけたアスランだが、いつの間にかカガリに裾を掴まれていた。失笑しつつそれをはがしにかかる手は優しく、愛おし気だ。


「…本当に、お疲れさま、だな」


 アスランはカガリの額にかかっていた髪を払った。本当に、今はただ幸せそうに眠るこの少女に、どれだけの重責がかかっているか。
 復興を続けるオーブ国内の様々な案件。「オーブの獅子」の後継者への周囲の期待。連合とプラントとの危ういバランス。
 他の中立国からは頼られる立場にあるが、所詮はたかだか一国家、国際会議等では強い発言力を持っている筈もない。

 かつては自ら前線に立って生命力溢れた快活さを見せていた彼女も、今では自らを抑えなければならないことの方が多い。ついさっきまでのように溜まったストレスを一気に発散させなければならない姿は痛ましく、――同時に自分にはそれだけ気を許しているという事実を嬉しいと思う。


「…おやすみ、カガリ」


 そっと額に口付けて、アスランは穏やかな眠りを妨げないように静かに退出した。
 右手で押さえていた口元はかすかに赤くなっていたが、それは誰にも知られることはなく、カチリ、とドアの閉まる音ばかりが残った。






いつも肩を張っている君も、
せめて僕の傍では安らいで。



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