君はまだ花咲く時を待つ小さな蕾







「カガリさま、カガリさま! 聞きましたわよ!」
「…はあ? 何を?」


 女学校の友人がこんな風に話しかけてくる時には大抵ろくなことがない。
 やれ私の家の桜が見事だから遊びに行っていいかだの(これはいいけど)、どこそこにダンスを習いに行ってみないかだの(洋装なんか疲れるからしたくない)、誰それが婚約したらしいですけどカガリさまはどうですのだの(大きなお世話だ)。
 女友達とお喋りするのは女学校の楽しみの1つではあるけど、どうも私には苦手な話題も多い。またそういう話題につき合わされるのかと思うとちょっと億劫だったけど、でも邪険にするのも悪いしで、私は気付かれないようにこっそりため息をついた。

 友達は随分とうきうきしていて、むしろ目を輝かせていた。一体何がそんなに嬉しいんだろう。最近の出来事でそんなに祝えるような事あったっけ。


「カガリさまってば、殿方と町を歩いてらっしゃたんですって?」
「…殿方?」
「ええ、そうですわ。先日カガリさまをお見かけしたと言う者がおりますの!」


 殿方って、男のこと、だよな?
 えーと、男と町を歩いたって、そんなの。…最近は少ないけど、お父さまとだって散歩することはあるし。キサカと出かけることもあるし。そんなの思いつかないんだけど。


「ええと、それ、お父さまじゃないのかな。この間もちょっと散歩したし…」
「いいえ、違いますわ! わたくし達と同じくらいの年齢の殿方だという話でしたもの!」
「…?」


 まだ私が首を傾げていると、もう、と痺れを切らしたみたいに、集まってきていた他の友達も口々に騒ぎ立て始めた。


「白を切ろうとして無駄ですわよ、カガリさま。存じておりますわよ。ザラ家のアスランさまでしょう?」
「まぁ! カガリさまったらアスランさまと恋仲でいらっしゃいましたの!?」
「な…っ!? 違…、何だよそれ!?」


 恋仲? 私とアスランが!? まさか! そう言われてみれば確かにアスランと2人で街中を歩いたことだってあるけど、でも…!


「違うって! 私とアスランはそんなのじゃなくって…」
「ま、アスラン、ですって。仲睦まじいことですこと」
「ねぇ」
「…だから…! ただの友達なんだって!」


 必死で否定しても、私とは価値観自体が違う友人達はうふふおほほと笑うだけで私の言い分なんか取り繕ってくれない。
 …そりゃ、さ。男と女が友達なんて珍しいご時勢だけど。でもだからってさ、どうして一緒に歩いただけで恋仲なんかに決め付けれなきゃいけないだ!? そんなの言うならキラとだって一緒に芝居を見に行ったりしてるぞ、私は!


「…あら? でも、ザラ家のアスランさまって、確か…」
「どうかなさいましたの?」
「…そう言えば、ねぇ?」


 突然何かに気付いたらしく、友人達は急にお互いで目配せを始めた。私は何が何だかわからないから、どうかしたのか、ととにかく聞いてみることにする。すると友人はとてもためらいがちに、言った。


「…確か、ご婚約なさってらっしゃるはずでしたわよね。あの方…」
「…え?」
「ええ、そうですわ。クライン家のラクスさまと。何でも代々お家同士が親しくしていらっしゃるとかで…」
「アスランが…? 婚約…してたんだ」


 あのアスランが? 人違いとかじゃなくって?
 …婚約? クライン家のラクス嬢と?

 あの子は私も知っている。直接会ったことはないけど、噂くらいならいくらでも流れている。ふんわりとした優しい子で、可愛くて、とても歌が上手だから、洋行の話も出ているとかいう。
(注・洋行とは西洋諸国への留学のこと。当時留学は非常に資金がかかった為、公費以外の留学は殆どなく、洋行帰りの人は非常に尊敬された)

 …私とは正反対の、可愛らしい子だって。


「…カガリさま、しっかり! お気を落とされてはいけませんわ」
「…え? あ、あの?」


 黙り込んだ私に友人は何を思ったのか、突然私の手をつかんだ。それも前後左右から皆でだ。
 …ちょっと痛い。


「婚約者がいても諦めないでくださいな。カガリさまならきっと大丈夫ですわ」
「そうですわ。カガリさまが諦めるなんて似合いませんもの。
 それに大恋愛の末の結婚がとてもお似合いですわよ!」
「まぁ、素敵! ご家族に反対されて、手に手を取っての駆け落ちとか!」


 …どうして私が駆け落ちなんかしなくちゃいけないんだよ?


「駆け落ちってさ、あのね…」
「ご心配は無用ですのよ。クライン家と言えばいわば士族の名家ですけれど、カガリさまのアスハ家は華族の名門中の名門、皇族の方に嫁いでもおかしくはないお家柄ですもの。カガリさまが負けるなんてありえませんわ」
「ええ、わたくし達応援いたしますわ!」
「…」


 完全に私を無視した展開に、軽い頭痛すら覚えてしまう。


 どうして友人達はこうなんだろう。
 女学校は楽しいけどこういう考え方にはついていけない。それとも私の方がおかしいんだろうか?

 私の年齢だと婚約している子がほとんどだし、結婚している子だっている。でも私はどうしてもそういうことを考えられない。

 勉強をして、お父さまとゆっくりすごして、友人とお喋りもして、散歩もしたりして、時々は芝居なんかも見に行ったりして。
 それだけだと駄目なんだろうか。恋愛とか、結婚とか。そういうことはまだ考えたくないのに。


「カガリ」
「…え、あ。…アスラン?」
「どうしたんだ? こんなところで1人で…。もう日が暮れるぞ」
「考え事してて…。ぼうっと歩いてみたみたいだ」
「危なっかしい奴だな…。転ぶなよ?」
「誰が転ぶかっ!」


 お気に入りの川の傍の道を散歩がてら歩いていたんだけど、そう言えばここはアスランの登下校道だったけ。
 アスランの言うとおり、太陽はとっくに西に傾いて、女が1人で出歩く時間じゃなくなっていた。いくら結構な自由を認められているっていっても、これじゃあ帰ったら確実にマーナのお説教が待ってるな…。

 アスランはほら、って言って歩き出した。でもその方向はアスランの家の方向じゃなくて、私の家の方だった。


「…1人で帰れる」
「馬鹿いうな。今はまだいいが、家に着く頃には真っ暗になっているぞ。送るから早く来い」
「…」


 アスランの言うことももっともだったから、諦めてついて行くことにした。でもこれじゃあ送って貰ってるって言うより、単にアスランの後ろをついて歩いているだけなんじゃないだろうか。…まぁ、いいけどさ。

 普段アスランは私より歩くのが早いくせに、私と歩く時はいつも私に合わせて歩いてくれる。焦らなくて、でも遅くもなくて、ちょうどいい早さだ。
 …いつの間に知られていたんだろう。私の歩く速さなんて。こんな――些細なことまで。


「…なぁ、アスラン」
「何だ」


 くるりって振り向いたアスランはいつもと何も変わらない。
 …そうだ、何も変わってないんだ。私にとってアスランはアスランで、それ以上でもそれ以下でもないのに。

 ――それなのに。


「…何でもない」
「?」


 一瞬怪訝そうにしたけど、やがてまたすぐに前を向いて歩き出した。
 私はどうしてかアスランの背中を直視したくなくて俯いた。

 …聞こうとしたんだ。『婚約者がいるって本当なのか?』って。
 だけど言えなかった。
 …言わなかった、んだ。

 だって、皆に認められてることなんだろう? じゃあわざわざ聞かなくてもいいじゃないか。
 確認する必要なんかないじゃないか。


 …馬鹿みたいだ。
 勉強をして、お父さまとゆっくりすごして、友人とお喋りもして、散歩もしたりして、時々は芝居なんかも見に行ったりして。
 そしてこんな風にアスランとも会って、何気ない、だけど大切な時間を共有する。それだけじゃ駄目なのか?
 恋愛とか、結婚とか、そんなことはまだ考えたくない。考えたくないのに――


 前を歩くアスランとの距離が、本当以上に遠く感じた。
 友達だと思っていた、今だって思ってる。きっとアスランもそう思ってくれてる。
 でも、アスランはもうとっくに私とは違ったんだ。

 婚約者が、いるんだ。


「…アスランって、婚約、してたんだな…」
「…はぁ?」


 つい口に出した言葉に、アスランは素っ頓狂な返事をした。振り返った顔も物凄くおかしな顔をしている。
 …何だよ、そんなに私が知ってるのがおかしいのか!?


「何なんだ、いきなり…。そんな古い話を」
「…悪かったな、古くて。どうせ私はそういう話に疎いさ」
「疎いにも程があるだろう。
 …婚約なんてとっくに解消しているんだぞ?」
「…え?」


 今度は私が素っ頓狂な声を出す番だった。

 …ちょっと待て、アスラン。何だって? 今何て…


「か、解消?」
「そうだ」
「だって、代々家同士が仲良くしてるって…」
「先代までの話だぞ、それ。現当主…シーゲル氏と父上は犬猿の仲だ」
「そ、そうなのか?」
「他の親戚連中が俺とラクスの婚約で仲を修復させようとしたけど、結局1年ももたなかった。もともと俺もラクスも婚約には乗り気じゃなかったし…」


 やれやれ、って肩をすくめられても私だってびっくりしてるんだ…!
 だって、婚約解消してるだなんて誰も言わなかった…!


「皆知らなかったぞ!?」
「あまり外聞のいい話じゃないからな。婚約は親戚連中が大っぴらに触れ回ったけど、解消は誰も言おうとしなかったし…」


 何だよそれー!?
 と、言うことは何だ、アスランは全然変わってなかったっていうことか? 私が勝手に勘違いして疎外感を感じてただけなのか? そうなのか!?


「…ばっかみたいだ…!」
「…さっきから何を言ってるんだ、カガリは」
「何でもない! 気にするな!」
「…」


 うるさい、これ見よがしにため息なんかつくな!
 何かもう、…本当に馬鹿じゃないか。


「…ったく、もう…!」


 あまりにも馬鹿馬鹿すぎて、かえって笑えてくるじゃないか!

 いきなり笑い出したから、アスランはまた変な顔になった。
 でも、いい。もういいさ。結局私の勘違いだったんだ。
 アスランは変わってない。私も変わってない。それでいい。

 いつかは2人とも変わらなきゃいけないんだろう。アスランは男で、私は女だから。新時代で女も社会に出るようになったって言っても、それでも立場は違いすぎる。いずれ嫌でも変わっていく。

 結婚も、いつかは考えなきゃいけない。


 でも、今は一緒だから、まだ考えないでいい。
 ――一緒にいてもいいんだ。だから、それでいい。


 それでいいんだ。


「…ところでさ、アスラン。さっき婚約には乗り気じゃなかって言ってたけど、どうしてだ? クライン家のラクス嬢って言ったら評判のものすごく可愛い子じゃないか」
「どうしてって、それは…」
「それは、何だ?」
「…何でもない」
「?」


 気になったから家に帰るまでずっと問い詰め続けたけど、結局アスランは口を割らなかった。
 何だよ、変な奴!








アスランはカガリが好きなのに、
カガリはまだまだ子供、というお話。
…哀れだ。




BACK