その時休憩室には彼以外の誰もいなかった。
 かつての母艦と言うこともあってだろう、その寝顔は無防備そのもの。ミリアリアがすぐ傍まで寄っても身動ぎ1つしなかった。
 ミリアリアは肩を揺さぶって起こそうと手を伸ばし――

 ――その手は、ディアッカの首を絞めていた。




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――目覚めのキスにしては激しすぎやしませんかね、ミリアリアさん」
「…起きてるなら目くらいあけなさいよ」


 ミリアリアが首に回した手は、しかし力が全く入っていなかった。首を絞めているというよりは首に手を添えた状態だ。ミリアリアに促されるようにディアッカの瞼が開かれ、紫紺の瞳が彼女を映した。


「何、今更ながらに殺したくなった?」
「そうね。皆が忙しく走り回ってるのに、のんきに居眠りしてる人を見つけたら、誰だって殺したくなるものじゃない?」
「走り回って疲れたから、ちょっと休憩してたんだけど?」
「分かってるわよ」


 と、ミリアリアは両手を引いた。そのままディアッカから離れて自動販売機の方へ歩いていく。元々彼女は休憩がてら紅茶でも飲もうと思ってやって来たのだ。
 ディアッカは少し体を伸ばした後、ミリアリアの後を追った。ミリアリアがミルクティーを出した後に続いて、ディアッカはコーヒーのボタンを押す。甘さも柔らかさもない苦味が寝起きの頭をクリアにする。


「今何時?」
「19時23分。時計くらい持ってないの?」
「持ってるけど、聞く方が早いし。てことは寝てたの20分くらいか。丁度いいな」


 友人兼上司に報告を寄越せと言われたのは19時40分。このコーヒーを飲み干すのには充分な時間だ。
 ディアッカは近くのソファに腰を下ろした。ミリアリアは、まだ立ったままだった。


「座んねぇの?」
「座るわよ」


 ミリアリアが腰掛けたのは、ディアッカの斜め前。向かい合わせにも隣りにもならない。自分たちの関係そのもののような位置で、ディアッカは自然と苦笑を漏らした。


「何よ、いきなり笑ったりして」
「いいえー、何も。
 …久しぶりだな、ミリィ」
「…そうね。でも、ミリィって呼ばないでって言ってるでしょ」


 ディアッカはミリアリアがそう言うと分かっていてミリィと読んでいるのに、気付いているのかいないのか、彼女はいつまで経っても許してくれない。
 何もミリィという愛称に特別な意味を持たせているわけでもないのだから――現にアークエンジェルのクルーなどには普通にそう呼ばせている――、いい加減にそう呼ばせてくれても良いものだが。

 ミリアリアはコップを両手で包んで、あめ色の紅茶を見つめていた。
 たった今彼の首を絞めていた両手。何故そんなことをしたのか、彼女自身にもよく分かっていなかった。ただ衝動的に、手が勝手にそう動いたのだ。
 ディアッカの首は、今包んでいる紅茶よりは低い温度で、だけどとてもあたたかかった。


「…まだ俺のこと殺したい?」
「…」


 ミリアリアは顔を上げない。それでもディアッカがどんな顔をしているのか分かってしまって、それが悔しい。ミリアリアは紅茶で一旦喉を潤してから、ようやく答えを紡ぎだした。


「殺したいとは思わないわ。
 …殺してしまっていたらどうなってたかなって、思うことはあるけど」
「殺してしまってたら、ねぇ…」


 クククッと、忍び笑い。皮肉気なその響きはディアッカ自身に向けられたものなのだろうが、ミリアリアには苦く聞こえた。


「あの時に殺されてたら、俺、バカのまま死んでたな。コーディネーターは優秀な人間だー、ナチュラルはバカだー、なんて思い込んだままでさ。
 ミリィはどう思う? 俺を殺してたら、どうなってたと思うよ?」
「…私もばかのままだったと思うわ。多分ね」


 もしあの時、ディアッカを殺していたら。殺されたから殺して、殺したから殺されて。終わることのない憎しみの連鎖に囚われてしまっていただろう。
 コーディネーター全てを憎んだフレイのように。ディアッカに銃を向けた彼女のように。きっと自分も、全てを殺そうと――


「…別に、ミリィはバカじゃないだろ」


 ミリィは俺を殺そうとしたけど、殺さなかったろ。
 怪訝に眉をひそめて言うディアッカに、しかしミリアリアは頭を振る。


「ばかだったわよ。サイが止めてくれなきゃ、本当に殺してたわ」
「違う。本当にバカだったら俺を助けたりしない」


 本当にばかなら、フレイが撃とうとするのを止めたりしない。それどころかフレイに感謝すらするだろう。

 多分俺なら――と、ディアッカは自嘲する。
 あの時の俺なら――いや、今だってまだ、きっと止めたりしない。仲間を殺された憎しみに囚われたまま、誰に止められても殺そうとするはずだ。

 ミリアリアは何も応えられず、まっすぐに向けられる目から目を逸らす。

 ディアッカのこういうところが、嫌い。

 自分はそんなに出来た人間じゃない。ディアッカが言うような優しい人間じゃない。
 こんな風に見つめられる理由なんて――想われる理由なんて、ない。


――さて、と。そろそろ時間だ」
「あ…」


 ディアッカは立ち上がり、空になったコップをくずかごに投げ入れる。壁掛けの時計は19時37分を指していた。


「じゃ、またな、ミリィ。デートのお誘いはいつでも受け付けてるぜ?」
「…ばか。あたしのやることに一々文句をつけてくる彼氏なんて、絶対にお断りよ」
「心配だから言ってんだよ。ちょっと目を離したらどこで何やってるか分からねぇからな、お前」
「お前って言わないで」


 通り過ぎにディアッカはミリアリアの頭を叩いた。惚れていると豪語している割にはその手つきは乱暴で、まるで子供をあやすようだった。


「…また、ね」


 ディアッカは振り返らず、手だけ振って返す。
 さよならではなく、次を約束する言葉。自然にそう言ってくれるようになった幸せを噛み締めて、顔はとてもにやけていたのだけど。








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