片隅






 ラクスの下からアークエンジェルに戻った時、僕の私物は小さな段ボール箱に納まっていた。たったこれだけだっけって思ったけど、考えてみれば元々着の身着のままで乗り込んだ艦なんだから少なくて当たり前だ。
 箱の中身を元の場所に戻すのに対して時間はかからなかった。段ボール箱を潰そうと思って無造作に持ち上げた時、中に残っていたペンが転がってしまった。拾おうと思って机の下を覗き込んだら、――僕の物じゃない物が、落ちていた。

 長さ7センチくらいの細長いリップクリーム。オレンジ色の花がプリントされたそれは、フレイが使っていた物だった。


(…忘れていったのかな)


 フレイがアラスカでアークエンジェルを降りたのは聞いた。その時に彼女の荷物も一緒に持って行ったはずだけど、急な異動でバタバタしていたと言うし――何よりフレイが嫌がってたって言うから、きっと詰め込んでいる時に落としてそのままになってしまったんだろう。

 拾い上げたリップの蓋を何の気なしに開けてみた。使い始めたばかりみたいでほとんど減ってない。ここでようやくフレイの肌はどんな時も荒れたりしてなかったなって思い出した。
 非常時の戦闘態勢が続いているのにのん気なもんだって一部の人には反感を買っていたみたいだけど、僕は――嫌いじゃなかった。

 張り詰めた緊張感の中、何かが狂ってしまいそうな日常にさらされている中で、フレイのそんな様子に平和だった日々を思い出せた。
 ――そんな些細なことにさえ救いを求めるほど、僕は追い詰められていた。

 蓋を戻してリップを机に置いた。コトリって小さな音がして、――思い出すのは、別れた時のあの表情。


 ――フレイは、無事でいるんだろうか。


 アラスカでアークエンジェルを降りたフレイ。サイクロプスシステムで壊滅したアラスカ。
 もしアラスカに残っていたのならまず助かっていない。けど、囮にと決めたアークエンジェルからわざわざ降ろさせたくらいだから、アラスカから脱出させていないはずがない。


 ――無事でいるよね。


 軍の上層部がフレイをどう扱うつもりなのかもマリューさんから聞いた。
 フレイはきっと軍の広告塔になるんだろう。最初は1人で放り出されて凄く不安になっているだろうけど、でもきっとフレイにはその仕事が似合う。
 前線の下士官なんかよりはよっぽど――明るくて華やかで、皆のアイドルだった彼女には。


 ――今は会えないけど、でも、きっと。


 アークエンジェルは軍を離反してしまったから、今はフレイに会えない。
 でもいつか戦争が終わったら、僕達の手で終わらせることが出来たら。そうすればきっと会える。そして、あの時の続きを話すことが出来る。
 だから。


 ――今は。





 普段使わない引き出しに収められた小さなリップ。
 フレイとの再会を約束する、小さな小さな絆のはずだった。








今は部屋の片隅に置かれたリップ。
今は心の片隅に置かれたフレイ。




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