キスの合間のやさしい会話






 唇が離れるとラクスはふわりと微笑った。至上の幸福を伴った快感の余韻を示す、とても優しい笑顔だ。日常的に笑顔を浮かべていることの多い彼女だがこの微笑の前では常日頃の笑顔など紛い物に過ぎない。そう確信できるほどの美しさだ。

 しかしイザークはこの瞬間が苦手だった。
 嫌いなのではない。むしろこの表情には見惚れてしまう。それ故に戸惑ってしまうのだ。
 生まれ持った性情のお陰で今までイザークを正面から慕ってくれる者はとても少なかった。だからこそこんな風にされるとどう反応するべきか困ってしまう。

 そしてラクスもまた、イザークが戸惑う様子を楽しんでいる節がある。
 今もまた気まずそうに目を逸らしたイザークにラクスは可愛いという感想を抱く。もし口にしたら烈火のごとく怒り出すのだろうが、ラクスが心の中だけで思うのは自由だ。
 普段なら凛々しい・美しいと称される彼が恋愛で悩み戸惑う様はとても微笑ましい。今もまた目を逸らしたまま、それでいてラクスの微笑を見逃すまいと意識は逸らさない。
 本当に、なんと愛おしい。


「…どうして、人はキスをするのでしょうね」
「…は?」


 突拍子もない疑問に、ようやくイザークの視線が戻った。
 2人が見詰め合うためにはラクスは少し首を上に向けなくてはならない。つい先日までそれ程変わらなかった身長差が少し時間をあけるだけですぐに大きくなる。少年の成長は目まぐるしく早い。


「だって、キスも結局は皮膚と皮膚の接触でしょう? 触れたからと言って何か起きることもありませんのに、どうしてキスをするのでしょう。
 …どうしてキスをしたら、こんなにも幸せになれるのかしら。イザークはご存知ですか?」
「は、いえ…」


 ラクスの問いかけはいつも突然で、その上いつも難問だ。
 イザークがきちんと解答出来たことは片手で足りてしまうし、そもそも問題自体明快な解答など存在しない場合が多い。
 最初はラクスの意図が解らずに困惑していたが、つまりラクスが聞きたいのはその質問に対する考え方であって、方程式のような回答を求めているのではないと、イザークもすぐに理解した。
 実の所は、もう1つ、頭を悩まして困惑するイザークを見たいという思惑も含まれているのだが、イザークがそこまで気付くことはない。そういう所がまた、ラクスには愛おしく思えるのだ。
 今もまたイザークは黙り込んで考えに没頭している。返答が貰えるのは1分後かしら、それとも5分後かしら。ただ長いだけの待ち時間もまた愛おしい。


「…その、ラクス。正しいかどうかは解りませんが…」
「はい、何でしょう?」


 躊躇いがちな切り出しも語られるにつれて強くなる。話していくうちに強くなっていくイザークの熱弁の声はとても心地良い。


「…民俗学において物を食べるという行為はその物の全てを体に取り込むことを意味します。栄養価だけではなく、その食べ物が象徴する属性を自らの属性とするのです。
 『同じ釜の飯を食べた仲』という言葉が存在しますが、これはつまり、同じ物を食べたことによって他人と自分が同じ属性になったことを意味するのです。
 …ここまではよろしいですか?」
「はい、大丈夫です。続けて下さい」


 趣味が民俗学というだけのことはある。今までにも何度か民俗学的な見地から回答をされたことがあった。ラクスにはあまり馴染みのない学問なので、聞いたことのない話を聞くのは非常に楽しい。


「つまり口は栄養学的な食以外の、精神的な物を取り込むための入り口としても重要な役割を果たしているのです。
 …それで、その。…キスをすることによって、お互いの性質を取り込みあっているのではないかと…」
「ああ、なるほど! 取り込み合って混ざり合うから、幸せを感じるんですね? だから好きな人と一緒になっているように感じられるのだわ」
「…おそらく、そういうことだと…」


 実に興味深い回答を貰えた、と嬉しさで上気したラクスとは対照的に、イザークは頬を染めていた。考え込んでいた内はともかくとしていざ声に出したら恥ずかしさが立ったのだろう。再び目を逸らしてった目にラクスはありがとうございます、と告げた。


「は、いえ…」


 大したことでは、と口ごもりながらも何処か嬉しそうな表情だ。ラクスは自然と微笑んだ。幸せの塊がそのまま零れ落ちたような、美しい、美しい笑顔だった。


「…イザーク?」
「はい、何ですか」
「もう一度キスをしませんか?」
「は? …はぁ!?」


 驚愕に声を乱してしまうイザークだが、愛しい少女の愛しい笑顔の前では、諾以外の返事など存在しないのだ。









後書きと言う名の余計なコメント。

 何なんでしょうこの甘々馬鹿ップル…(笑)
 ハロウィーンな話でも書こうかと思いましたが、去年既に書いているので諦めました。
 イザラクってどーも、こう、ラクスが主導権握ってそうなイメージがあります。きっとイザークは「男らしく」リードして恰好良く振る舞いたいんでしょうけどねぇ…。
 あと食に関する民俗学的な見解は間違っていない筈です。キスに関しては私の創作ですが。
 以前「NEWTYPE」だか何だかの雑誌で、イザークが「趣味の民俗学で飛鳥時代の食事について調べて…」などと喋ってましたが、それ、明らかに間違ってます。飛鳥時代の食事に関しての研究は文献史学か考古学の範疇ですよ!





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