クロスロード




海は生憎の荒れ模様で、防波堤を乗り越えるように波が押し寄せていた。
こんなに荒れる日は珍しい。
普段なら子守唄に聞こえる優しい波音も、今日は隣にいる人物の声音をも掻き消すほどに耳障りだった。
高波が押し寄せる毎に、胸がざわめき始める。
波の音に、記憶が揺り起こされるのを感じ、真矢はふるりと首を左右に軽く振った。
まるでその行為が記憶を抹消でもするかのように、繰り返し何度も。
けれども、そんな行動が無意味なことも真矢は知っていた。
こんな動作で過去が消えるならば、胸を掻きむしりたくなるほどの後悔も、泣き喚きたくなるような喪失感も、今まで継続して己を苛むことはないのだから。
胸の内を空っぽにしたくて真矢は深いため息を吐いた。
「何だ嬢ちゃん、悩みごとか?」
荒れ狂っている波の側、まさか自分以外の人間が粋狂だとしてもやってくるはずはないと安心していただけに、真矢はその声を聞いて飛び上がるほどに驚いた。
「溝口さん…!?」
「よう、久し振りだなぁ」
防波堤の上をひょいひょいと軽い足取りで近付いてくる溝口を、真矢は呆然とした表情で見つめた。
確か溝口は数日前に偵察隊として島の外部へと飛び立っていたはずだ。
最後に見たのがパイロットスーツ姿だったのだから間違いない。
一体いつの間に帰島したのだろう。
目の前にいる彼はラフな服装で身を包み、人一人分開けた距離まで近寄ると、表情の読めない顔をして笑った。
「いつ帰って来られたんですか? 私気付かなかった」
「昨夜、だ。昼間帰ると出迎えやらなんやらでスタッフがわらわら来やがるからな。おちおち報告もできやしねえ」
そう言われてみると、見送った日もやたら人が集まっていたように思う。
恐らく自分も含めた非番のスタッフが集まっていたのだろうと真矢は少し反省をした。
この島の住人にはどうやら島外に出るものを英雄化してしまう傾向があるようだ。
事実、自分を含め、過去にファフナーパイロットとして第一線に立っていた者達は、今でも敬意を表されて、言い方は悪くなるが特別扱いされることが多々あった。
溝口に関しても、決して安全ではない空に飛び立つのだ、島民は感謝と、そして罪悪感を伴って彼を見る。
それは悲しい実情だった。
「こんなとこに立ってると、波に浚われちまうぞ」
波しぶきに濡れて色の変わったコンクリート、その上に立っている真矢も例外に漏れず、足元がぐっしょりと濡れていた。
スカートも水分を含んで、色が濃くなっている場所が見受けられる。
人を取り込んでしまうには、波の力は弱い。
けれどどこかでこのまま波が自分を飲み込んでしまえばいいと真矢は願っていた。
「何か嫌なことでもあったのか?」
聞いてやるから戻ろう、と溝口がぶっきらぼうに真矢を誘う。
こんな寂しい場所で、まるで孤独を求めているような真矢から何を感じ取ったのか、溝口は粗削りな優しさを無器用ながらに向けた。
その態度は相変わらずだと、ひとりでに真矢の顔に笑みが浮かぶ。
「大丈夫、心配しないで」
それだけ言うと、真矢は再び波に視線を移した。
波は不規則にうねり、足元で砕けては消えていく。
溝口は居座ることを決めたのか、胸元から煙草を取り出してライターで火をつけた。
鼻を擽る独特な香りに、自然とここにはいない彼のことを想う。
数年前から吸い出した煙草は、もう彼から切り放して考えることができないくらい馴染んでいる。
あの日、決別してしまったときもこんな荒れ模様だった。
こんな天候の中、防波堤に立つことは緩やかな自傷行為だと皮肉を込めて真矢は笑った。
「嬢ちゃん?」
「ねえ、溝口さん。私大切なものを壊してしまったの」
訝しげに名を呼んだ溝口に対して、真矢は反射的に言葉を紡いだ。
「とても大切にしていたものを欲にかられて失ったの。馬鹿馬鹿しくて涙も出ないわ。自業自得だって、そう思うから」
波の音に負けないように声を張り上げたが、もしかしたら虚勢だったのかもしれない。
そのどちらでも構わないと、真矢は自棄になっていた。
「私、自分が間違ったのかもわからない…でも…」
尻窄みになった言葉の続きが心を深く傷付けていく。
好きだったの、あの人が。
報われなかった気持ちが溢れて、涙となって表に現れた。
「…一騎のことか?」
泣いている真矢を配慮してか、伺う声は波に打ち消されるほど小さく耳に届く。
「も…だから溝口さんって嫌いよ」
ふふ、笑おうとして失敗した真矢は、両手で口許を押さえて嗚咽を噛み殺そうと俯いた。
震える声を押し出すように、今まで隠してきた弱音が一気に溢れ出す。
「好きだったわ…好きだったの。だから友情じゃなく私を見てほしかった。…馬鹿よね、高望みをしたから友情すら私には残されなか…ッ」
抑え切れなくなった嗚咽が、真矢から言葉を奪っていく。
告白したときの一騎の驚いた顔、そのまま困ったように眉根を寄せて拒絶の言葉を申し訳なさそうに呟いた。
それ以来、一騎は真矢の側に近寄ることはなかった、いや、真矢が一騎の仕事場に近付かなくなったと言った方があっているのかもしれない。
ぎくしゃくとした関係が怖くて、一騎の瞳の中に真矢を煙たがる色が見えでもしたら、と考えるだけで挫けてしまいそうだった。
こんな自分が嫌だった。
自分は悪くないと、そう思うことで平静を取り戻そうとする醜い自分。
身体中が震えだし、膝が砕けそうになる。
しゃがみ込みそうだった真矢の身体を、突然あたたかいものが包み込んだ。
涙で悪くなっている視界に溝口のシャツが写し出される。
溝口に抱き締められているのだと、咄嗟に押し返そうとした腕の抵抗は、そのままシャツを握り締めてすがる動作へと移行した。
しゃくり上げながら泣き始めた真矢は、けれど間近にある熱に不思議と癒されていた。
全てを受け止めてくれる揺るぎのない精神は、不安定にぐらついている真矢を静かに癒してくれる。
涙は自然と止まり、それと同時に羞恥心から顔が上げられなくなった。
「ッごめ…」
「嬢ちゃんを振るようじゃ、一騎も見る目がねえな」
謝ろうとした矢先の言葉に、真矢はきょとんとして溝口の顔を見上げた。
「オレんとこに嫁に来ないか?」
にやりとした表情に、真矢は呆気に取られたが、次の瞬間、溝口の腕の中から体を離すと赤くなって叫んだ。
「何言ってるんですか!? からかうのもいい加減にしてください!」
肩で息をして、くるりと体の向きを変えると、溝口を置いて一目散に走り出す。
その後ろ姿を見送って、溝口は真矢の足の早さに口笛を吹くと、髪をがしがし掻きむしりながら苦笑した。
「からかう気はないんだけどねぇ」
どうやら長期戦になりそうだとひとり笑って、もう見えなくなってしまった真矢の後ろを溝口はゆっくりと追い始めた。









 超素敵サイト・砂上の月の超素敵管理人・華月沙綾さんから強奪頂いた超素敵溝口×真矢。
 本当にねぇ、大好きなのよ、溝口×真矢! なのに何処でも拝めないで…! 無理を言って書かせちゃいました☆ てへっ☆
 ありがとう、ありがとう沙綾さん…! このご恩は(多分)忘れないよ…!(笑)




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