ベイビーベイビビ
アイラービュー
欠乏症編
夏休みも折り返し、ご先祖様が里帰りをする頃。ふと生クリームが食べたくなった。ちょっと奮発してお高いデパ地下のケーキである。高いが美味い。美味いが高い。懐事情との相談が必要なのが寂しい限りだ。いつかホールで買って貪り食ってやる。
「おーいハンちゃーん、ケーキ食べないー?」
「食べるー!」
庭越しリビング越しに隣家の幼馴染にして妹同然にして未来の義妹、ハンジちゃんに声を掛ける。ハンちゃんはてててっと軽い足音を響かせてやってきた。ケェキ、ケェキ、とうきうきわくわくな様子で非常に可愛らしい。普段可愛げの欠片も無い愚弟を見ているから余計にそう思う。
「紅茶とコーヒーとオレンジジュースと野菜ジュースと牛乳と、どれがいい?」
「んー、お姉ちゃんは紅茶?」
「うん」
「じゃ、私も紅茶でいいや」
「はいよー」
美味しいケーキに安物の紅茶は冒涜である。という訳でこっちもデパ地下の高級紅茶専門店で入手したお高い茶葉を用意する。抽出2分半、蒸らしも大事。紅茶を用意している間にケーキを皿に移し、フォークも用意。ハンちゃんは待ちきれないとばかりに一口目を頬張った。
「ん、おいしー」
「うん、ここのイチゴショートは格別だよね〜」
私も早く食べたい。お気に入りのティーカップに紅茶を注いだ頃にはハンちゃんはもう食べ終わっていた。相変わらず食べるの早い子だな。
待望の生クリームに舌鼓を打ちつつ紅茶も堪能。父は仕事で母は習い事。外では蝉の大合唱や子供のはしゃぐ声が元気に響いているが、我が家はこのリビング以外に誰も居ない。静かなものだ。
その静けさが落ち着かないのか、ハンちゃんはしきりに顔をきょろきょろとさせていた。聞かなくても誰を探してるのかなんて分かるけどさ。ほんと分かりやすい子。
「リヴァイならいないよ?」
「…そうなの?」
さすがに美味しいケーキを弟を除け者にして食べるなんて酷い真似はしませんよ、お姉ちゃん。…たぶん。めちゃくちゃ怒ってる時でもない限り。
「遊びに行ってるの? 誘ってくれたらよかったのに」
「うん? ハンちゃん聞いてないの?」
「え、何を?」
「リヴァイ、合宿に行ってるんだよ。昨日から3泊4日で」
「聞いてない!」
ばん、と激しくテーブルを叩いて立ち上がる。ティーカップがぐらりと揺れた。
「ハンちゃん、危ない」
「あっ、…ごめんなさい」
「よろしい」
カップの中の紅茶はまだ冷めていない。幸いソーサーより外にはこぼれていないが火傷でもしたら大変だ。座りなさい、と促すと、ハンちゃんは素直に従った。しゅんとしながらも口はへの字、どう見てもむくれている。
「…聞いてないよ」
「ふーん、それはまた。愚弟にも困ったものだねー」
「合宿って、いつもの道場の? 7月に行ったんじゃなかったの?」
「それは子供向けの道場での合宿だね。今回は大人に混じって山篭りだそうだよ?」
「…」
置いていかれた寂しさと、どうして教えてくれなかったのかという怒りと。ハンちゃんはむっつりと黙り込んだ。
リヴァイを取られたような気分なのかもしれない。ずっと一緒だったのに、いつも一緒なのに、どうして、と。
リヴァイが今参加している合宿は弟が通う武道の道場のものだ。小学校に入るのと同時にリヴァイは武道を習い始めた。元々運動に長けていたことと本人の熱意とで師範に妙に気に入られたとかで、普通なら小学生は参加できない大人向けの山篭りにも参加している。師範曰く最強の男になれるぞとか何とか…いやいや何だその少年漫画な称号は。
この道場は護身術や敵をぶち倒す格闘技と言うよりは、武道により心身を鍛え悟りを目指すという、仏教系の教えが元の流派らしい。なので特に大会に参加したり段位を設定して帯の色を変えるということはしていないのだけど、その流派の中では結構な有名人になりつつあるらしいぞ、我が弟は。将来的にマジで人類最強とか言われるようになったらお姉ちゃんどうしよう。
で、だ。その道場に通うようになってから放置されることが増えてショボーンとしているハンちゃんだが、この子の存在がリヴァイが通い始めた理由の1つだったりする。
好きな子を守りたい。守れるように強くなりたい。男の子が強くなりたいと思う理由としてはごく自然だろう。ごく自然だが、…正直言って、お姉ちゃんはこっ恥ずかしい。我が弟がそこまで健気だったとは。元々体を動かすのが好きだったからハンちゃんの為だけに通い始めた訳じゃないし、実際に通い始めたらハンちゃんそっちのけで鍛錬を楽しんでるから、元々そういうのに向いてる気質があったんだろうけどね。毎日ジョギングして筋トレして、その内腹筋が6分割されそうだ。
「…どうして教えてくれなかったのかなぁ」
ぺしょん、とハンちゃんはテーブルに突っ伏した。頬はむくれたままだ。怒ってるんだから、という表情を作りながらも、目は今にも涙がこぼれそうに潤んでいる。私はよしよしと頭を撫でてあげた。本当に撫でて欲しいのは私じゃないのは分かってるけど、今ここにいないから代わりに。
「単に言い忘れてたってだけだと思うよ。結構そういうとこ適当でしょ、あの子」
「うん…」
大事なことは絶対に忘れない子だけど、逆に言えば大事じゃないと思ってることは適当になる子だ。
リヴァイにとって大事じゃないのはどっちだろう。道場か、ハンちゃんか。ハンジの方が絶対に大事だってリヴァイは思っていても、それがハンちゃんに伝わらなければ意味はない。小学生にとって4日も放置、しかも事前に言ってくれなかったってのは大きいよ、愚弟。
「…お祭りには帰ってくる?」
「帰ってくるよ」
「じゃ、一緒に行けるかなぁ」
「ハンちゃんがお願いしてリヴァイが折れなかったとこって見たことないなぁ」
「…うん」
だといいんだけどな、と呟くハンちゃんはいつになく弱気だ。うわーヤバいなこれ。ここで「道場の奴らと一緒に行くから」って断ったらマジで終わりだぞ愚弟。
お祭りっつーのは今週末に近くの神社でする花火祭りのことで、結構な人出と出店が出る。この辺の子供には夏の一大イベント、カップルには格好のデートチャンスってことだ。思いっきり子供な小学生で一応結婚の約束をしてるリヴァイとハンちゃんも毎年デート(※ただし保護者同伴)しているのだけど。
「リヴァイが帰ってくるの、お祭りの日のお昼だね」
「うん。…疲れてる? 行かない方がいいかな?」
「さあ、どうだろう。聞いてみたら?」
はい、と私は自分の携帯を差し出した。リヴァイには緊急連絡用として携帯電話を持たせている。親は子供用を持たせたがったがあまりに可愛らしいデザインにリヴァイが本気で抵抗したので、仕方無しにご年配御用達のシンプル携帯だ。エロサイトに行かないようフィルタリングはガッチガチに固めてある。ハンちゃんは携帯を持っていないので、リヴァイに連絡をする時はこんな風に私や親に借りて、だ。
ちなみにハンちゃんは一度たりともリヴァイとのメールを読ませてくれたことがない。受け取って読んだら即座に消せ、とリヴァイに厳命されているとかで、律儀にそれを守っているのだ。クッソ生意気な弟め…ディープな愛を囁き交わしてるわけじゃあるまいし、ちょっとぐらい覗かせろっつーの!
ぽちぽちと慣れない手つきで、時々手を止めるのは言葉を選んでいるからだろう。えいっと気合を入れて送信。どんな風に誘ったのか非常に気になるけれど、返ってきた携帯の送信ボックスは既に消去済みだ。おのれ。
「って、うおっ!?」
ぴんぴろぴーん、と気の抜けるような着信音。メール受信。差出人は我が愚弟だ。
「ハンちゃん、返事来たわ。すげー早いなオイ」
「ありがと!」
返された携帯を1分も経たずにもう一度ハンちゃんへ。すっごいなーリヴァイが即返事って。丁度3時過ぎで休憩時だったんだろうけど、それにしてもリヴァイが即返事って。即返事って! 前の合宿の時に帰ってくる前夜に母さんが何時に帰ってくるの駅に迎えに行くわよ?って送っても返事ナッシングで1人で帰って来たあのメール不精が!(ちなみにその後、ちゃんと返事しなさい!と母さんに怒られてた。愚弟には全然堪えてないし改善する気もないみたいけど)
期待と不安で心臓をばくばくさせながらハンちゃんはメールを開いた。ガッチガチの表情は即座にぱぁぁぁと光り輝く音が聞こえてきそうな顔になる。わざわざ聞くまでもないけれど、それでも一応、と私はハンちゃんに問いかけた。
「ハンちゃん、リヴァイは何て?」
「行くって!」
「そ、良かったね」
「うん!」
撫でくり撫でくり。今度のよしよしには満面の笑顔、だ。良かったな愚弟よ、お前はまだまだハンちゃんに見限られてないぞ。今後もこういうことが続くようなら保障は出来ないけどね。
華やかな提灯。楽しげな喧騒。花火の観覧席までの道路にはテキ屋の花道が出来ている。
「うっわすっげー! すっごいなーあっちクジだって、あっカキ氷! ねえどれから食べよっかリヴァイ!」
「…何でもいいんじゃねぇの」
「はきがなーい! せっかくのお祭りだよ!? 食べつくすぞ、おー!」
リヴァイの手を取って一緒に空へガッツポーズ。あーやっぱり浴衣を着せたかったなー動きにくいからヤダ!なんて勿体無いよなー。
「ほらほらお姉ちゃんも、早くー!」
「はいはい、ちゃんと着いて来てるから。迷子になっちゃだめだよー?」
「迷子になんかならないよー!」
なりそうだけどなぁ…意図的に2人で。なぁ、愚弟よ?
「…」
「睨むなっつーの愚弟。夜のお祭りに小学生だけで行かせられる訳ないでしょーが」
先日のハンちゃんからのお誘いで、リヴァイはがっつりデートをするつもりだったらしい。実はこっそり浮かれてたりしたんだろうか。ふっ愚か者め。小学生だけで夜のお祭りなんて親が許す訳ないでしょうが。親より空気が読める私が来てあげただけ感謝しなさい。
膨れっ面のリヴァイと違い、ハンちゃんはそりゃもうはしゃぎっぱなしだ。お祭りが楽しいのかリヴァイと遊べるのが楽しいのか。その両方だろうけれど、比率はどちらの方が大きいんだろうね。後者だとお姉ちゃん嬉しいね。
イカ焼きにベビーカステラ、大判焼きにクレープ、チョコバナナ、わたあめ。ハンちゃんの心を揺さぶる食べ物が山盛りだ。まずははこれ!とばかりに向かったのは、りんご飴の屋台。どれがいいかなーとハンちゃんが品物を見比べている間に、リヴァイが先にお金を払いやがった。
「リヴァイも食べるの? あ、これ大きいかな」
「俺はいらない。お前の分だ」
「え? 何で? 私、ちゃんとおこずかい持ってきてるよ?」
「合宿に行くの言い忘れてたから、侘びだ」
「…」
おいこいつ本当に小学生か。本当にやっと年齢が2桁になったばかりのガキか。何さらりと女の子に奢ってるの。何さらりと受け取りやすい口実を与えて尚且つ以前のことを謝ってるの。本当に私の弟かこれ、3泊4日の合宿で大人に囲まれて女を口説くテクでも伝授されてきたの?
「…怒ってないよ?」
ハンちゃんが怒ってないのは本当だ。怒るのではなく、落ち込んでいた。
「いいからおごられろ」
「…うん! ありがと、リヴァイ!」
ハンちゃんはりんご飴を持ったままぎゅーと抱きついた。屋台のおじさんや周りの人は小学生カップルを微笑ましく見守っている。うんそうだね微笑ましいね。ハンちゃんの将来が心配になるくらい微笑ましいね。
(…一度この弟とは徹底的に話し合わないとダメだな…)
お姉ちゃんの心配なぞ何処吹く風、ハンちゃんはヒャッハー!とばかりに屋台を満喫している。いつの間にかリヴァイの手にも牛串が握られていて、しかも上半分が無くなっていた。お姉ちゃんも何か食べるかな〜とちょっと脇に目をやった時だ、ハンちゃんがうわー!と一際高い声を上げたのは。
「ひよこだ! リヴァイ、ほらひよこ!」
「見りゃ分かるっての。…何だこいつら、釣るのか?」
ぴよぴよと可愛らしい鳴き声のひよこたち。金魚すくいや亀釣りのようにリヴァイは釣るものだと思ったらしいが、ひよこは釣れないだろう。ひよこ屋台のおじさんも釣らないよ〜と苦笑した。
「お嬢ちゃん、ひよこどうだい? かわいいよ」
「うん、かわいい。ね、この子にわとりになるんだよね?」
「そうだよ、大きくなったら鶏になるんだよ。鶏もかわいいんだよ」
「へぇぇぇ」
あ、やばい。ハンちゃんの顔が輝きだした。
「おいハンジ、まさか買う気か?」
「だってひよこだよ、にわとりになるんだよ! こんなちっこくて黄色いひよこが白いにわとりになるんだよ!? どんな風に変わってくのかなぁ、見たいよぜったいに見たい!」
ハンちゃんは好奇心旺盛な子である。昔大木の上の鳥の巣を見に行こうと危険な木登りを敢行したくらいに。
目をきらっきらに輝かせて、このひよこたちにご飯をあげ育て、鶏へと成長していく過程を見たい、と全身で主張している。
「いっぱいだね。ねーリヴァイ、どの子がいいと思う?」
「どれも同じだろ」
「えー違うよ。この子はちょっとくちばしが尖ってる。こっちの子は足が速いね!」
…やっばいなー。こういうとこのひよこってすぐに死ぬって聞くし、住宅街で鶏って飼っていいものなの? コケコッコーて日の出に鳴かれたら結構な近所迷惑…。新鮮卵をお裾分けしてご理解とご協力を求めるか? いやでも雌なら養鶏場に行くよねこの子たち全員雄かもしれない。雄だったらどうすりゃいいんだ、成長したら絞めるか? えーお姉ちゃん鶏の絞め方なんて知らないよ…田舎のじいちゃんなら知ってるかなぁ…
とか何とか葛藤してるうちに、さっさとハンちゃんが買ってしまった。ああああちょっと待ってハンちゃんのお母さんに飼ってもいいかの許可も得てないのに!
「おいハンジ!」
「大事にするからねー、かわいいなーんふふふー」
「おばさんに飼っていいかも聞いてないだろ!」
「だいじょうぶ! お母さんはちゃんと説得するから!」
ひよこが3匹入った紙箱を大事に抱え、踊るように逃げるようにハンちゃんは駆け出した。ンの、ばか!と叫んでリヴァイが追う。勿論私も追う。
結局その夜ハンちゃんは抱っこしたひよこに夢中で、きれいでド派手な花火にも毎年のような興奮はなく。リヴァイは若干の不満を抱えて帰宅することになったのでした、チャンチャン。
…と、ここまでで終われば、「ハンちゃんを放っておくからデートで放っておかれるような目に合うんだよばーかばーか」と弟をからかう話で終われたんだけど。生憎と話はそこで終わらなかった。
何しろひよこだ。生き物だ。ぴよぴよと鳴いてハンちゃんに懐く可愛い動物だ。ハンちゃんはひよこに夢中になった。飼育方法を図書館やネットで熱心に調べて、毎日大切に世話をして、ハンちゃんの生活の大半がひよこに捧げられたと言っても過言ではない。
当然、今までリヴァイリヴァイー!と隣の我が家に突撃してきたのもぱったり止んだ。
だけどハンちゃんの全力の世話の甲斐無く、「夜店のひよこはすぐに死んでしまう」という都市伝説の通りに2ヶ月も生きることは出来なかった。しかしそれでも、ハンちゃんの突撃は復活しなかった。
「…なんで? 私、ちゃんと世話してたよ? ちゃんと暖めて、ご飯もあげてたよ」
「元々の体が弱い子たちだったのね、悲しいけど仕方ないわ、ハンジ」
「ひよこは体がよわいの? でも、それじゃ鶏の農家さんは大きくなるまで何匹も死なせちゃってるの?」
「それは…、農家さんは、そういう知識があるから」
「私、たくさん調べたよ? 農家さんのこともたくさん調べた。農家さんと同じように育ててたよ、なのに何で」
冷たくなったひよこの前で、ハンちゃんは必死に頭を回転させていた。ひよこを死なせてしまった後悔? いいや違う、ハンちゃんは反省と課題の抽出をしている。何故死んでしまったのか。何が悪かったのか。養鶏場のひよこと夜店のひよこでは育つ環境が違うからか。それらの疑問を拾い上げ、差を比べ、改善点を見出し、次へと繋げようとする姿勢だ。
「…ハンちゃん?」
じっと動かないハンちゃんを、悲しみに呆然としていると思ったのだろう。おばさんはよしよしとハンちゃんを抱き締めた。ハンちゃんは置物のように固まっていたけれど、だけど悲しさで固まっていたのではなかった。ハンちゃんの目は今まで見たことのない程に生き生きとしていたのだから。
「…お母さん、私、またひよこ飼いたい。今度はもっと調べるから、餌も小屋ももっと考えるから!」
「まぁ…、ダメよハンジ。この子たちを飼うって決めた時に約束したでしょう? 生き物は大事に育てなきゃダメ、思いつきで飼うって決めたりしちゃダメって」
「思いつきなんかじゃないよ! 私は今度こそ…っ」
「今度こそなんて、ダメ。次の子をこの子たちの身代わりにしてはダメなの。この子たちそのものを悼んであげなきゃ」
おばさんはペットとしてひよこを悼むべきだと言い、ハンちゃんは生物学な興味でより適切な育成を試みたいと言う。2人の言い分は噛み合っていなかった。そしてハンちゃんには自分の母親を説得できるだけの知識と交渉能力がまだ備わっていなかった。
これ以後、ハンちゃんは学校で飼育されている生き物の世話に精を出す。それはそれは熱心に。先生方からやり過ぎだと心配される程に。
年も越えて日が過ぎて、そろそろ2月に入ろうという頃。ふと生クリームが食べたくなり、駅前のコンビニで3つのイチゴショートを買って帰った。本当は美味しいケーキ屋さんで買いたかったのだけど懐事情との兼ね合いだ。仕方が無い。
「たっだいまー。リヴァイ、ケーキ食う?」
「あるならもらう」
「おらよ。紅茶入れておいて、リプトンのがまだ残ってるよね?」
「分かった」
ちょうど居間に下りてきていた弟にケーキの入ったビニール袋を渡して、私は一旦自室へと荷物とコートを置きに戻る。居間に戻ったらまず窓を開けて隣へ合図だ。
「ハーンちゃーん、ケーキ食べるー?」
「あらあらごめんなさいー、ハンジ、出かけてるのよー!」
「あ、そうなんだ。分かりましたー」
居間越し庭越しに声を掛けて、でも返って来たのはおばさんの声だった。もう小学校の授業はとっくに終わってる時間だから居ると思ったんだけどなー。リヴァイが帰ってるんだから一緒に帰って来たはずだし?
「ハンちゃん、お出かけだって。残念だね?」
「…」
黙々と紅茶を用意してさっさとケーキを鷲掴みに食べ始めた弟は、いつもの仏頂面である。とてもケーキと紅茶を堪能しているようには見えない。
「去年の夏はひよこの世話で忙しくて、秋からは学校の生き物の世話と生物のことについてずっと調べてるんだっけ? 好奇心を持ったら一直線!な子だものねー、最近遊びに来てくれないから、お姉ちゃん寂しいわー」
「…」
ハンちゃんならフォークで切って大事に味わって食べるケーキも、男の子は手づかみで2口3口、だ。まったく質より量なんだから、男の子ってほんと情緒の欠片も無い。
「まぁでも、あんたも道場に通うようになってからハンちゃんのこと放ったらかしだったしー? お互いさまってことよねー」
「…うるせぇ」
ギン、と人を殺せそうな物凄い睨み。あーほんとにこいつ小学生なのかしらね。マジ怖い。ハンちゃんに放っておかれて寂しいからって八つ当たりしないで欲しいわー。
「ほんとのことでしょ。ハンちゃんすっごい寂しがってたのに、あんたは全然気付きもしないで。今度はそれが逆になっただけじゃない。あんたにハンちゃんを怒る権利なんてないのよ、ばーか」
「…っ」
ばんっと机を叩いて立ち上がる。カップは持ち上げていたから紅茶は無事だ。どかどかと足元も荒く逃げようとする背中に、私はにやにやと笑いながら追撃してやった。
「寂しかったら素直に寂しいってハンちゃんに言ってきなさいよ。抱っこしてよしよしして、不足してるハンちゃん要素を補充してきたら?」
「るせぇクソバカ! 誰が言うか!」
ふーん、寂しいってことは否定しないんだ。へー、ちょっと意外。あの年頃の男の子なら強がって寂しくなんかない!って言いそうなものなのに。
リヴァイとハンちゃんがべたべたしなくなったのは寂しいけど、いつまでも2人だけの世界で生きていられないってことでしょう。成長して周りが見えるようになって、そして自分達だけだった世界が広がっていくってことだ。それは正しい子供の成長の姿で、お互いだけで居られなくなって寂しいと思っても、それを邪魔してはいけない。閉じこもってはいけない。
2人だけだと閉じこもるのではなく、無限に広がっていく世界を一緒に見て歩いていく。リヴァイとハンちゃんにはそういう2人になっていって欲しい。
今は世界が急速に広がりすぎて追いかけるのが精一杯で、お互いのことに目を向ける余裕がないって段階かな。もうちょっと落ち着いたら周りも見えるようになるだろうから、そこは時間が解決するしかない。
ハンちゃんはリヴァイ欠乏症が、リヴァイはハンちゃん欠乏症が出てくるようなバカ甘カップルなんだから、今は精々寂しがって、この先べたべたいちゃいちゃする時の糧にするといい。