ダーリンハニー






「今日は1日べたべたいちゃいちゃするぞ!」
 朝食の席でイザベルが力強く宣言した。
 2人揃った休日、しかし外は生憎の雨模様。なら家で思う存分ごろごろしてやる、との結論だった。
 ソファの足にリヴァイがもたれかかって、イザベルはその足の間に入り込んでリヴァイを座椅子にする。2人がテレビを見る時の定位置で、流しているのは録画してあったアクション映画だ。
「うわっ」
 主人公がビルの屋上から落とされた。イザベルは前のめりに体を強張らせる。そのままなら墜落死という状況を、腕に仕込んでいたワイヤーを射出して難を逃れた。
「すっげー。なあ兄貴もあんなの出来るよな?」
「いや無理だろ」
「えー、出来るって。立体機動、超上手かったじゃん」
「ならまず立体機動装置を持って来い」
 期待に輝かせた目で見上げてくる顔をリヴァイはぐるりとテレビの前に戻す。イザベルが目を離していた僅か数秒の間に場面はすぐに転換していた。ビルの中を走る主人公の背後から爆発が連続して追ってくる。窓ガラスに突撃してビルから脱出するのと一際大きな爆発が起きたのはほぼ同時だった。
「おおー」
 倒壊するビルを背に悠然と去っていく主人公を見てイザベルは感心したように声を上げる。その後も主人公は多種多様な危機に見舞われ、その度にイザベルは大袈裟なリアクションを見せた。思いがけない方向から銃弾が飛んできたらびくっと体を震わせ、敵を見事に蹴り倒せばガッツポーズで「やった!」と歓声を上げる。
 1時間半の映画が終わると、リヴァイの腕の中で、イザベルは大きく伸びをした。あれだけアグレッシブに観ていたら疲れもするだろうよと、リヴァイはイザベルの頭を撫でながら思う。
「面白かったー! な、兄貴もそう思う!?」
「ああ」
「これ、続編もあったよな。レンタルに出てたら借りてこよっか」
「いいんじゃねぇの」
 実際のところ、リヴァイは映画そのものよりもイザベルの反応を楽しんでいた。場面に合わせてコロコロと変わるオーバーリアクションは可愛らしく、面白い。続編も同じようならまた楽しめるなと、リヴァイのそんな楽しみ方なぞ露知らず、じゃあチェックしとくな!とイザベルは顔を輝かせる。
「次は何見る? 兄貴は映画とか録画してあったっけ?」
「無いだろ。最近はほとんどチェックしてなかったからな」
「んー、じゃ次何しよっか。昼飯はまだ早いしー」
 テレビの画面端に表示されている時刻は11時をようやく回った頃だった。録画番組を確認しようとリモコンに伸ばした手を、リヴァイが攫った。
「兄貴?」
 重ね合わせるように繋いだ手を口元に持っていく。ちゅう、と可愛らしい音を立てたキスをする。イザベルはうひゃあ、とやや色気のない声を上げて、それでも体をリヴァイへともたれかけた。
「なに、兄貴。くすぐったい」
「今日は1日べたべたいちゃいちゃするんだろ」
「あっはは、そうだけど」
 頭を撫でて髪を梳く。戯れに手や腕、頬へとキスを落とす。その度にイザベルはくぐもった声を上げて、その色が次第に甘くなっていく。
「あに、き」
 イザベルからも顔を寄せる。イザベルの体温はリヴァイよりも少し高い。摺り寄せた頬は温かく、心地良い。触れる指とキスに酔いしれて、イザベルは兄貴、あにきと繰り返す。普段なら気持ちいいはずのその声に、しかしふとリヴァイは気付いてしまった。
「イザベル」
「ん…? 何?」
 ぼんやりと熱に浮かれたままに見上げる顔は欲情した女そのものだ。何歳も年下のガキの癖に、と情欲を煽られるのが少し悔しく、リヴァイはリンゴのように真っ赤な頬を齧る。いてぇ、と上がった悲鳴ごとキスで飲み込んだ。
「…お前、俺を呼んでみろ」
「? 兄貴」
「…」
「いたっ!?」
 リヴァイは指を弾いてイザベルの額に当てた。所謂デコピン、大して力を込めた訳ではないが、それまで甘い空気に酔いしれていたところに喰らったのだから驚きの方が大きかったらしい。大袈裟に悲鳴を上げ額を押さえて、涙目で何するんだよ、と訴える。
「何だよ、いきなり。俺何かしたか?」
「何かっつーか。
 …名前で呼んでみろよ」
「へっ? 名前?」
「兄貴じゃなくて名前で、だ」
「………何で?」
「今日は1日べたべたいちゃいちゃするって宣言したのはお前だろ。恋人なら名前で呼び合うものなんじゃねぇの?」
「…っ!?」
 意味を理解したイザベルの顔が瞬時に真っ赤に染まる。俯き逃れようとしたが両手で頬を抑えられ、力ずくで上を向かされた。至近距離で見るリヴァイの顔は、怒っているようにも、愉しんでいるようにも見えた。
「あ、…にき」
「兄貴じゃない。名前だ名前」
「…え、何で。そんなの今更…」
「別に完全に切り替えろって言ってるんじゃねぇよ。…今だけでいいから呼んでくれ」
「…っ」
 頬を固定する手が離れてもイザベルはもう下を向くことが出来なかった。呼んでくれ、と言った時の細められた目。請うような視線。あ、う、と意味のない声ばかりが漏れだして、きちんと言葉になってくれない。
「り、…」
「り?」
「…リヴァイ、あにき」
「兄貴はいらねぇよ。ちゃんと言ってみろ、イザベル」
「うー…」
 緩やかに頭を撫でる手は、いい子だから、とあやされているようだった。いい子だから俺のお願いを聞いてくれ、と。年はリヴァイの方が上なのに、まるで甘えられているように。
「り、ヴァ…い」
「切らずに言えよ」
「注文が多い!」
「たった4文字を複雑怪奇に出来るお前の方が凄いと思うがな」
「〜!」
 大きく息を吸って、吐いて。深呼吸をするイザベルを、リヴァイはじっと待っている。やがてよし、と掛け声1つ、意を決してはっきりと目を合わせながら、言った。
「リヴァイ」
「…」
 頭を撫でていた手が止まった。リヴァイは何も言わない。その瞬間に時間が止まったように、ただじっとイザベルを見つめ続けた。
 沈黙に耐えられなくなったのは勿論イザベルの方だ。気恥ずかしさと緊張と。勇気を振り絞った結果が無反応なんて酷いだろと、怒りを顕わに怒鳴りつける。
「っ、何か言えよ!」
「…ん」
「んって、…!」
 キスが下りてきた。さっきまでの戯れるような軽いキスとは違う、深く奪う為のキスが。
「んんっ…! あ、っ」
「…」
 酸素を求めて開いた隙間から断りも遠慮も無く入り込んできた熱源に口内を蹂躙される。うっすらと開いた視界は自然と溢れた涙で滲んでいた。ぼやけた視界で見えたのは、自分と同じく熱に浮かされたリヴァイの顔。――心底満足そうな、意地の悪い笑顔。
「…っは、…ぁ…」
 ようやく解放された時には完全にイザベルの息は上がっていた。リヴァイも同じようなものだったが、仕掛けた分まだ余裕があるのか、俯いてしまったイザベルの髪や背中をあやすように撫で続ける。その手を心地良いと感じながらも今は顔を見られたくなくて、押し付けるように顔をリヴァイの胸に埋めた。
「クソ恥かしい…」
 確かめなくても自分の顔が真っ赤になっているのが分かる。くくっと喉を鳴らす音が上から聞こえてきた。くっそ、とイザベルは心中で悪態を吐くが、下手に言い返して負かされるのだけは嫌なので、それ以上は口を噤んだ。
「ま、気が向いたらまた呼べよ」
「絶対にイヤだ」
 くくっと再び、喉を鳴らす音。分かっているのだ、リヴァイは。口では絶対にイヤだなどと言っても、もしまた請われたならイザベルが拒むことなど出来ないことくらい。
「意地悪兄貴…」
「その意地悪兄貴が好きなんだろ、お前は」
「〜!」
 ちゅう、と可愛らしい音を立てて頭にキスが落とされる。リヴァイのシャツにぎゅうとしがみ付いて上がりゆく熱を抑えようとする。どうせそんなのは無駄な抵抗で、すぐに自分からねだりにいってしまうのだと、今までの経験から嫌というほど分かっていたから。
「…意地悪リヴァイ」
 ぽつりと呟いた瞬間にぴたっとリヴァイの動きが止まった。してやったり、と勝ち誇った顔で見上げてみれば、口元を隠してイザベルの視界から逃げようとする赤い顔。
「あーにき?」
「…お前な」
 いつまでも振り回されるだけでいてたまるか。イザベルは挑発的な笑顔を浮かべ、リヴァイの手を奪って宣戦布告のキスをする。するとリヴァイの答えは勿論応戦で、どちらから仕掛けたなんて分からなくなるまで奪い合い求め合い。その日は思う存分にべたべたいちゃいちゃと過ごした。








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