いま一人二人の獣になって   






「リヴァイって両親はいる?」
「木の股から生まれたとでも言いたいのか?」

 グラスをゆるゆると揺らしながら呟くハンジの顔は赤い。口を付けたのは一口だけで、普段のハンジの酒量からすれば酔うような量ではない筈だ。やっぱ疲れてんじゃねぇのかとリヴァイは思ったが、特に口にはしなかった。

「違うよ、そういう意味じゃない。あ、生い立ちを詮索してるつもりでもないからね」

 そうじゃなくて、と苦笑を1つ。

「あのさ、処女受胎って知ってる?」
「あん?」

 日常的に使うことはない単語だが、リヴァイも聞き覚えはあった。雄と雌が性交をして繁殖する、性別が雌雄に分かれている生物なら当然そうあるべき誕生を覆して生まれた神の子の話だ。

「宗教の教祖の話か?」

 聞いたことはあるが、だからなんだ、とハンジの意図が掴めずに訝しむリヴァイに、ハンジはそう、と満足げに頷いた。

「男とセックスしないで処女のまま産んだ女性。聖母マリアと神の子イエスだね」
「宗教と俺の親に何の関係があるってんだ」
「急かさないでよ、ちゃんと順番に話すから。
 そのイエスが生まれたのが、12月25日なんだよね」
「…ああ?」
「つまり今日。貴方が生まれたのと同じ日だ」

 おっめでとー。ぱちぱちと拍手の音が響く。いつの間にかハンジのグラスは空になっており、ハンジは手酌でもう一杯グラスの縁ギリギリまで注ぎ込んだ。対照的にリヴァイのグラスはまだ半分が残っている。今日の酒はハンジが「たんじょーびプレゼントだよーいいのが手に入ったからね!」と押しかけた代物だと言うのに、贈り主の方がペースが早いってのはどうなんだ、と半ば呆れる。
 前に食事を取ってからかなり時間が過ぎている。空きっ腹に酒だけ注ぎ込めば酔いが早くなるのは当然だが、ハンジの目の下にははっきりと分かりやすく隈が見て取れた。徹夜3日目くらいか、と今までの経験からリヴァイは推測した。仮眠は取ってるから徹夜じゃない、と以前に言い訳されたことがある。その時はリヴァイも虫の居所が悪かったこともあり、寝言は寝て言えと怒鳴りつけて無理矢理に眠らせた。顎に掌底を食らわせて昏倒させたと言うのが正しいが。

「それで、俺がその神の子とやらと同じだと言いたい訳か?」
「だったら興味深いね。貴方の強靭な体はそこに起因するのかな、なんて」
「はっ」

 それこそ馬鹿げた話だと、リヴァイは鼻で哂う。ハンジもくすりと笑い、2杯目を勢いよく飲み干した。頬は赤く目が潤んでいる。再び手酌で注ごうとするのをリヴァイが奪った。リヴァイのグラスも空になっている。あー、と抗議の声を無視して自分のグラスを満たす。

「俺への祝いだろ」
「そうだけど。美味しいお酒は皆で共有すべきでー」

 溜息を1つ落とし、そうして注いでやると、今度はちみりちみりと舐めるように飲み始める。うへへへへしあわせーなどと呟く声はまるで子供だ。リヴァイはもう1つ、深く溜息を吐いた。

「ねーリヴァイ」
「何だ」
「何で巨人には男性体しかいないんだろうね?」
「…お前な」

 何が悲しくて仮にも祝いの席、酒を楽しむ席で巨人の話をしなくてはいけないのか。渋面に渋面を重ねて睨みつけてもハンジは何処吹く風で、むしろリヴァイの反応など求めていないとばかりに言葉を続けていく。

「男性体しかない上に生殖器も確認できない。ならどうやって繁殖しているんだろうね。発情期に体を作り変えるんだろうか、ナメクジのように単性生殖が可能なんだろうか? 処女受胎は単性生殖とも取れる。もし仮に神の子と同じ生まれ方をするならば、神の子に喰われる私たち人間は一体何なんだろう」

 酔っ払いの戯言だ。本気で論じたい訳ではないのだろう、ハンジは巨人を語る時の狂乱的な目はしていない。そもそも巨人が単性生殖と判明した訳でもない。推論と言うよりは妄言の類、思いついたから言ってみただけの話。馬鹿馬鹿しい、と断じたリヴァイに、そうだね、とハンジも反論しなかった。

「何もクソもねぇよ。巨人が神の子だろうが悪魔の使いだろうがどうでもいい。生きる為に天敵から身を守るのは生物の本能だろうが」
「あっはは、本能か。そうだね、たったそれだけの話なのにね」

 なのにどうしてアレコレと小難しい理屈を考えたがるんだろうね。
 空になったグラスをテーブルに戻す。次の杯は重ねない。蝋燭の灯りは部屋全体を照らすには足りず、薄暗がりを映すハンジの目もまた暗く染まった。
 くっと一気に飲み干し、リヴァイもグラスを空にする。呆けたように部屋の隅を眺めるハンジはまるで何かに囚われているように見えた。

(何にだ。…巨人にか)

 憎悪と憤怒の対象とし、その後には実験と研究の対象とする。ああ確かにハンジは囚われているんだろう。人を喰らう天敵を調べ明らかにし、人類の自由を取り戻す。その為に心臓どころか魂まで捧げている。
 では今ここにいるコイツは何なんだろう。心臓も魂も捧げているのなら、残るは体だけか。巨人の話をしない時のハンジは体だけの抜け殻か。
 伸ばした指が頬に触れる。酒のお陰で紅潮した頬は夜気に冷やされても暖かかった。もし体温を感じられないほどに冷たかったら本当に抜け殻だと思わされたかもしれないと思い、そこまででリヴァイは考えるのを止めた。
 馬鹿馬鹿しい、と先程と同じように断じる。捧げたのが心臓だろうが魂だろうが、ハンジは今ここに居る。触れて確認も出来る。急に触れてきたリヴァイの方を向いて、どうしたの、と傾げる顔には紛れも無く感情が、――ハンジの心が映っている。
 ハンジは今ここに居る。今この時、リヴァイの隣に。

「リヴァイ?」
「お前、何しに来たんだ。俺の誕生日を祝いに来たのか、酒を飲みに来たのか、巨人の話をしに来たのか、一体どれだ」
「ああ、前2つだね。今夜はさすがに寝ないとヤバいなーって思ったから、ちょっと一緒にお酒引っ掛けて軽く喋って、頭をお休み状態にしたかったんだけどね」

 だけどまた色々考えちゃったから、頭冴えちゃったかなー、と困ったように呟く。頬に触れていた指をそのまま進ませて頬全体を掌で包み、親指の腹で唇をなぞった。ハンジはうん?と首を傾げながらも抵抗はしない。されるがままに触れられ、進入しようとする指を柔く食む。

「どうしたの、いきなり。サカるようなこと言ったっけ?」
「発情期がどうこうという話はされたな」
「興味無さそうに聞いてたくせに」
「ある訳ねぇだろ」

 ハンジが今ここにいると確かめたくなった、それだけだ。今ここに居て触れ合っているこの女は、確かにリヴァイのものだと。
 親指を口内に進ませると、ん、とくぐもった声が漏れた。歯列をなぞる指にハンジの方から舌を絡ませてくる。唾液が指を伝い、手首まで流れる。ハンジの目はさっきまでとは違った意味で潤んできていた。リヴァイは満足げに手を引き、伝う唾液を舐め取った。

「酒だけじゃ腹は膨れねぇよ。こっちも喰わせろ」
「私、寝たいんだけどなぁ」

 口ではそう言いながらも、ハンジはその手を伸ばしてリヴァイの首に回す。

「仕方ない、こっちもプレゼントしますか」

 ちゅ、とわざと音を立てて軽いキスをする。体を押されたと思った時にはもう倒されていた。背に触れるシーツの冷たさもすぐに感じなくなるんだろう。素肌に触れるリヴァイの手は冷たかったけれど、それすらも体を心を加熱する燃料にしかならない。

「眠くなるよう協力してやるんだ、感謝しろ」
「違う意味で眠れなくなるでしょ」

 言葉遊びをする余裕もすぐに無くなるから話せる間に話していたいのに、リヴァイはすぐに口を塞ぐ。キスの余韻に浸る暇もなく全身を弄られる感触に酔う。見上げる視界は全てがリヴァイで埋まっていて、どんな窮地でも冷静さを崩さないリヴァイが、この時だけは余裕の欠片も無い切羽詰った表情になる。お前を喰らい尽くしたいと脅すように欲情した熱い目。

(これじゃ、どっちがプレゼントされてるのか分かんないわ)

 リヴァイのこんな顔を見れる特権はハンジだけのものだ。誰にも見せたくないとばかりに、顔を抱き寄せてキスを強請る。は、と乱れた息と伝う唾液はどちらのものなのか最早分からない。
 息も汗も何もかも、全てが溶け合って分からなくなってしまえばいいと。そう思ったのを最後にあとは何も考えることも出来ず、発情した動物そのものに貪り喰い合った。







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