幼少の頃から養育どころか一年に何度も会わなかった。殺生丸が元服を迎えた頃からは10年に一度も会わなくなった。冥道へ赴く目的で宮を訪れた一件以来、顔を合わしたことも会いたいと思ったこともない。
殺生丸にとって母とは「自分を産んだ女」という認識しかなかった。そして母もまた殺生丸を「自分が産んだ子」という認識しか持っていないことも分かっていた。母子としての愛情などお互いの間には全く存在せず、故に殺生丸は母が何故この屋敷に下りて来たのか分からなかった。その、用件を告げるまで。
「あの娘を娶ったそうだな?」
不快を通り越して剣呑ささえ纏う。並みの妖怪程度なら一睨みで肝を潰されてしまいかねない強烈な邪眼。だがさすがは実母と言うべきか、ふん、と鼻で笑って流してみせる。かつて西国を統治した大妖怪の正室であり、そして今西国を統治する大妖怪の母である彼女もまた、並々ならぬ胆力と妖力の持ち主であった。
「何だその目は。まさか私がお前に説教をする為に来たのだとでも思ったのか?」
「では何の用だ」
「ふん、この馬鹿息子めが」
目的は違うのかもしれないが、この母が重臣などから陳述されているのは間違いなかった。
先代に続いて殺生丸までもが人間の娘を娶る――、それは重臣にとってとても許せるものではない。まして先に正室との間に跡継の殺生丸を儲けていた先代と違い、殺生丸はただの一人も室すら迎えていない。その状況で人間の娘を妻とするとは。
殺生丸は母が重臣に請われて提言に来たのかと思った、しかし母はそれを鼻で笑う。では一体何の用だと言うのか。殺生丸に母が自分に会いに来る用など思いつかない。
「あの娘は…今はおらぬか。まあいい。いずれ会うこともあろう。或いは会わないまま死ぬか」
「…」
妖怪の寿命は長く、人の一生は短い。妖怪にとって10年とは「たった」と称される時間だが、人間には「そんなにも」と称される年月だ。それだけの隔たりを持つ生き物同士。共に過ごせる時間は人間にとっては一生でも妖怪にとってはごく僅かな時間――。
「まったく、変なところが父親に似たものだな、お前は。人間を娶るなど――一昔前のお前ならば、考えることすらなかっただろうに」
たった一瞬、ふ、と声が和らいだ。それは何かを懐かしむようでもあり、僅かに母としての慕情を感じさせる色すら内包していた。
だがそのような表情を見せたのも一瞬、すぐに皮肉げなものと戻る。ではな、と呟くのと同時、優雅に裾を翻し、殺生丸に背を向けていた。
「お前が誰を娶ろうが私の知ったことではないよ。お前の好きに生きるがいい」
「…無論だ。言われるまでもない」
「ふん、全く可愛げのない」
ああそうだ、と、本当に思い出した、と言う風で、母は息子に振り向いた。
「何の用か、と聞いたな? 知己を訪ねるのに近くを寄ったからの」
ふと気が向いただけだ、と言う。その言葉は本心からに違いない。そして、「好きに生きろ」と告げた思いも。
幼少の頃ならともかく、今更「母」を察したとて、今までの関係も感情も変えようがない。そして母も変えることを望んでいるわけではないと、そこまで気付いてしまっている。
故に殺生丸はただ一言。
「二度と来るな」
「は、生意気を言う」
ざ、と土を踏む音と共に、銀月が1つ空を駆けた。
――或いはかの娘に会いに来たのかもしれなかった。それでも、地に残った銀月はその軌跡を見送ることすらしなかった。
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やっと最終巻読みました。
男が女に着物贈るってそーゆー意味か、それとも虫除けを狙ってか。