じゃり、と足の下で石が叫ぶ。
まだあの日から一ヵ月も経っていない。真夏ならともかく一月の今の海に遊びに来ようと思う酔狂な者はなく、一騎一人で白砂を踏み歩いている。
一騎は一人空を見ていた。今日もよく晴れている。雲ひとつ無い快晴、あの時と同じ蒼穹。
一騎の目は今はその蒼を映している。同化現象の進行で赤くなったままの両目だが、治療の甲斐あって視力は回復した。完全に、とは言えないのが哀しい所ではあるが、それでも一騎は恵まれている方だろう。治療も出来ずに死を待つしかなかった先達より、よっぽど。
「…」
一騎は目に触れた。以前から同化現象が進んでいた体だが、決定的に光を失ったのはあの日だ。作戦を成功させる為に自分の体には一切構わず戦った。
俯くと未だぼやけた視界に白い砂浜が飛び込んでくる。そこには白砂と小さな石と、後は流れ着いた貝殻くらいしか落ちていない。
(何か…)
落ちてないか、と一騎は思う。何か一つくらい流れ着いていないか、と白砂をくまなく探す。
だが一騎がどれほど探しても何も見つからない。一騎の手には何も残らない。確かにあの時マークザインの、一騎の手にあったのに、全ては結晶化して砕け散ってしまった。
せめて一つだけでも、と思う。だが逆に何も無い方がいいかもしれない、とも思う。『何か』があったらそれを心の拠り所に出来るが、『何か』があったらそれにもたれ掛ってしまうかもしれない。
(俺はどっちになるんだろう…)
いい意味でのお守りに出来るのか、それとも『何か』に縋ってしまうのか。もし見つけたら俺はどうするんだろう。
答えの出ない疑問を抱いて一騎は海岸を歩き続けた。
絶対に見つけることなんか出来ない、本当はそう分かっていても。
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ペーパーよりお蔵出し。
最終話直後のお話。視力云々の記述は天地公開よりずっと前に書いた物なので矛盾しますがお目溢し下さいませ。
あのさ、と一騎は長年の疑問を切り出した。それはそれは真面目な目で。
「三色カレーって美味いのか?」
「…何を言い出すのかと思えば…」
まったく、と呆れたように――事実呆れているのだが――、総士は嘆息した。一方、一騎はいや、だからな、と反論を試みる。
「三色カレーって言われたらさ、何か変なイメージがしないか?」
「いいや、僕は特に何もイメージしない」
「そうなのか? 俺は最初に聞いた時、赤青黄色の信号の三色を思い出したぞ。赤なら唐辛子の色とか、黄色ならルーの色だからいいんだけどさ、青いカレーって何なんだよって思ったんだよ。白いご飯の上に赤青黄色が揃ってるのって、かなり不気味だろ」
「…僕には三色カレーと言われて信号の三色を連想した理由が謎だ」
「いや、それは…何となく」
「…」
そもそも竜宮島には信号機自体が殆ど設置されていない。三色と言われて何故そんな身近でない物を連想するのか、総士には不思議でならない。
「三色カレーは六種類のルーから任意で三種類を選んで食べるメニューだ。六種類あるルーの中で青いルーなんてない」
世の中にカレーの種類は数あれど、青い色など人類が生まれた時点まで遡っても存在しない。そもそも青とは食欲を萎えさせる色だと言われている。見慣れていない以上に気味悪さが先立つ青いカレーなど誰が好んで食べるというのか。
「じゃあ三種類のカレーって言えばいいじゃないか…」
「メニューの命名に文句をつけてどうする」
「そうだけどさ…」
はぁ、と嘆息する姿はまだ納得しきれていないらしい。子供のような意地を張る様子を見て可愛いと思うか呆れるかはその人それぞれだろう。ちなみに総士は後者で、二度目の溜息が吐き出された。
「そんなに気になるなら一回食べれば済む話だろう…」
「…美味いのか?」
「僕は食べたことがない。乙姫は好んで食べているようだが」
「ふぅん…。じゃあ食べてみるか」
「そうしてくれ」
無事実物を試食した一騎がどんな感想を抱いたのか、それはまた別の話。
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イベントペーパーからのお蔵出し。
「三色カレー」って最初に聞いた時、赤青黄色を連想しませんでした?
ちなみに日本では青色の食べ物は滅多に見られませんが、アメリカだと普通に青い色のケーキが売ってたりするらしいです。実物を見てみたいけど食べたいとは思わない…
総士はふう、と息を吐いた。集中している間は全く気にならなかったがその実はかなり疲れていたらしい、端末から目を離すと視界がチカチカする。瞼を閉じて目元を押さえるととても気持ちが良かった。
まだ明日までに片付けなければならない仕事は山積みになっている。何としても今日中に片付けなければ明日は明日で新しい仕事が増える。今日くらいは、と怠けていては雪だるま式に増えていくことは総士が一番分かっていた。
総士はここで一先ずの休憩をとることにした。 無駄に時間を浪費する暇はないが、だからと言って不休で続けていても次第に効率が悪くなってくる。適度な休憩は必要だ。
自然と視線がベッドの上に置いたままの包みに向かう。それは一騎が帰宅前に置いていった物だった。
――大変なのは分かるけど。ちゃんと食ってちゃんと寝ろよ。
半ば押し付けられる形で渡された夜食だ。胃は特に空腹を訴えていないが、空にしていないと一騎は怒るだろう。明日一番に器を取りに来ると言っていた。
「…」
総士はその包みを開けた。小さめの弁当箱に握り飯が二つと漬物、ウインナー、卵焼き。子供が好きそうな献立だ。総士はくすりと喉を鳴らし、握り飯を頬張った。
中には梅干が入っていた。もう1つの握り飯は鮭フレークだった。ウインナーは既製品を焼いただけの物だが、美味しかった。勿論卵焼きも美味しかった。
空になった器をもう一度包みなおし、総士は小さく手を合わせた。今はここにいない一騎へ、ごちそうさまと。
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ペーパーよりお蔵出し。
オカンな一騎。
一騎は洋食より和食が得意だと思います。でも総士は洋食の方が好きなので、洋食も特訓中だったりしたらいいと思います。
日暮れと同時に顔を出した月が中空に昇っている。
都会のネオンとは無縁な竜宮島では星が鮮明に見える。この夜は特に空が冴え渡り、真円の望月が清明と姿を見せていた。清冽とした空気は、まるで雨の後のようだった。
並んで歩いていた片方、左側の人物が、右方の人物に手を伸ばした。右方の人物、総士は、近付いてくる手に気付いて、顔を向ける。伸ばされた手は総士の頬に触れて、薄茶の髪を払った。
「…」
不審に思った総士が尋ねようとするよりも早く、一騎が近付いてきた。2人の皮膚の一部が接触しあう。一般的にキスと呼ばれるその行為の後、総士は激しく顔を顰めた。
「…急に何だ、一騎」
「いや、つい…」
一騎はばつが悪そうに目をそらす。頬に触れていた手は既に下ろされていた。いつの間にか止まっていた足を早々と動かして、総士は一騎を置き去りにして行った。一騎も、慌てて追いかける。
「ちょっ、待てって。悪かったよ」
「何を考えている。こんな街中で。誰かに見られていたらどうする」
「だからごめんって…」
美しい月の下、清涼な夜の闇とは対照的な痴話喧嘩は、延々と続いた。
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ペーパーよりお蔵出し。
何というバカップル。
総士は怒ってるって言うより照れてます。一騎は素で気障なことをやらかす子だと思うよ。
ざぁざぁと雨が降っていた。
雨どいから落ちるしずくが、ぴちゃん、ぴちゃん、と特徴的な高い声を上げる。灰色の雨雲で覆われた島は、雨の臭いで包み込まれていた。
「暑いな」
「…何を当たり前のことを…」
現在の気温は二十九度。酷く蒸し蒸しした日本の梅雨の暑さだ。
冬なら凍えそうになる隙間風も、今は生ぬるい空気を運んでくるだけで、心地よい風など寄越してくれない。
「そうじゃなくてさ。こんなことやってるから」
「じゃあ止めるか?」
気温が高いと布団に移った自分の体温すら鬱陶しく思えてくる。シーツは夏用のサラっとした手触りのものだったが、それでも大した気休めにもなってくれない。
体温が2人分なら尚更。
「止めない」
「そう言うと思ったよ」
雨を臨む部屋で、二つの影が重なっていた。
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またもやお蔵出し品。初めてファフナーでサークル参戦した時のペーパー用小話です。
イベント当日の天気予報ががっつり雨だったので雨の話を書いたのですが、実際の天気は素晴らしい快晴でした。
そりゃ雨より晴れた方が嬉しいですが、何という皮肉。