oblivious 06
私が所属している研究室は3階にある。研究資料で埋まった腐海っぷりは私の部屋と負けず劣らずだ。部屋の主の教授も新入生が入るたびに整理してお迎えしないとなーと思っているらしいが毎年思うだけで終わってるらしい。気持ちは分かる。
(…あーびっくりした…)
まさかあんな所でリヴァイに会うとは思わなかった。思わなかったと言うか、あそこはリヴァイが普段通るような道じゃないはずだ。珍しい所に用があったのか、それとも…。
…逃げている自覚はあるのだ、これでも。ここのところゼミ関係の雑務が多かったけれどちょっとくらいなら抜けられない程じゃなかった。リヴァイに声を掛けようと思ったらできた。だけどしなかった。偶然顔を合わせるなら仕方ないけど、意図的に会おうとは思わなかった。…どう接したらいいのか、整理がつかないから。
そうして2ヶ月が過ぎて、偶然の日はついにやってきた。リヴァイがあの夜のことなんかなかったみたいにいつも通りに話しかけてきたから、私もいつも通り返したつもり…だけど。
(…心臓に悪いわ。マジ勘弁…)
図書館からの帰りに顔を合わせるなんて完全に不意打ちだ。山と抱えた資料が無かったらその場で逃げ出していたかもしれない。あーそうだこの資料の山を何とかしないと、と適当に置いてもらった本を何冊か取り上げたところで、あのー、と躊躇いがちに落ちてくる声。
「ん?」
「あの、ハンジ先輩って、リヴァイ先輩と知り合いなんですか?」
「うん?」
手伝います、と声を掛けてきたのは1つ下の後輩だ。理系より文系の方が似合いそうな女子力高い子だが、読ませてもらったレポートはしっかり作りこまれていたのだから人は見かけによらない。にしてもリヴァイ先輩って何だリヴァイ先輩って。
「知り合いと言うか、昔からの…友人、かな? て言うか、貴女リヴァイのこと知ってるの?」
「知ってますよ! 有名じゃないですか」
ねー、と同輩の子と頷きあう。
…はて? リヴァイってそんな有名人だっけ? 調査兵団で人類最強と言われてた頃ならともかく、今は別に普通の大学生だと思うんだけど。リヴァイとは学部も違うから接点なんてないと思うんだけどなー。
首を傾げていると、ほらあの時ですよ!と熱く説明をしてくれた。
「去年の文化祭で演舞と100人抜きをされたでしょう? あれでファンが急上昇したんですよ!」
「あー、そういえばそんなこともあったっけ。で、貴女もファンなの?」
「はい!」
去年の文化祭、野外ステージで空手部だったか骨法だかの部活が演舞をした時、リヴァイも知り合いの部員に頼まれたとかで参加してたんだよね。それで出し物の1つとして部員10人抜きをしたら全員一撃必殺で早く終わりすぎて時間が余ってしまって、こうなったら何人抜きできるかやってみようってことで、格闘系の部活の連中を急遽集めて総掛りをやった。実際には100人もいなかったと思うけど(舞台の大きさ的に100人も乗れないだろ)、知らない内に彼は有名人になっていたらしい。
「並み居る敵を次から次へと倒していくのがすっごくかっこよくて、ストイックなところもいかにも格闘家って感じでクールですよね!」
「…クール」
「はい!」
さっさとクソして寝ろ、便秘が酷くて出す物も出せねぇのか!?と怒鳴りつけてくる男のことをクールと言うのか。実情を知らないって素敵だなぁ。それにストイックと言うのも分からない。禁欲的? どこが? あいつ酒好きのザルだぞおい。
2人してきゃーきゃー言ってる辺り、リヴァイの世間的評価というのはそういうものらしい。そう言えば人類最強をしていた頃も実情を知らない子供たちから憧れの視線を向けられてたなぁ…なんて懐かしい気もする。…かっこいい、と言うのは同意するけども。
「あの、それで、お友達なんですよね?」
「お友達って言うか腐れ縁みたいなのだけど、うんそうだよ」
「なら、あの…」
「紹介してもらえませんか!?」
「…」
誰々さんと知り合いなんですか、私ファンなんです。そんな流れなら当然そう来るわな。きらきらと顔を輝かせて、とても可愛い。この子たちの身長は150センチくらいだったか。170ある私と並ぶと頭1つ分小さい。リヴァイと並んでもきっと似合いの身長差だろう。とても可愛らしい子だから、きっとお似合いだろう。『昔』の彼が婚約していたあの可愛い子と同じように。
「…あー」
「ハンジ先輩?」
痛い記憶だ。『昔』は好きだって気付いた瞬間に失恋した。『今』も彼は私を女として見てくれていないからと諦めようとした。他の子とくっついてくれないかと願った。自分の思いは伝えないまま、1人で片付けようとした。
自分からは何もしないまま。1人で悲劇に酔うように。
「…ごめん、紹介はできない」
「えー!」
天井を仰ぐ。馬鹿だなー、と心底呆れる。どうしてもっと早く決心しなかったんだろう。『昔』はともかく、『今』はどうとでもできたのに。女として見てくれていないなら見てもらえるように努力すればよかったのに。この前キスされたのは訳が分からないままだけど、あの時冗談で終わらせたりしなかったらもっと違っていたはずだ。それすらも気付けず、2ヶ月も逃げて、やっと気付いた。
「私もあいつが好きだから、協力はできないんだ。ごめんね」
「え」
「ええ?」
ファン心理と恋と、好きの種類は違うものだろう。だけどやっぱり嫌だ。突然の宣戦布告に呆然としている後輩たちを余所目に、私はさっさと資料の片付けと下読みに入った。
リヴァイは今夜10時に家に来てくれると言っていた。どうしてあの時キスをしたのか、何の話をしたいのか。リヴァイが考えてることなんて全然分からないけど、私のやることは決まった。山積みの仕事を少しでも早く片付けて時間を作って、それからリヴァイを待つんだ。10時と言ったからには10時までリヴァイは来ないから、それまでには帰っておこう。
腹は括った。今夜会ったら、その時は絶対に好きって言ってやる。
あれこれと片付ける端から仕事を増やしてくれる素敵な教授のお陰で、結局警備員に追い出される10時まで研究室を出られなかった。もうリヴァイは来ているかもしれないと急いだら、本当に家の前にリヴァイが立っていた。ドアから離れようとしていたのは出直そうとしたからかもしれない。ギリギリセーフ。
「ごめん、待たせた? ちょっと片づけが長引いちゃってさー」
「いや、いい。とにかく入れてくれ」
「はいはーいっと」
鍵を開けて、中に招き入れる。リヴァイと会うのは2ヶ月ぶりで、部屋にリヴァイが来るのも2ヶ月ぶりだ。嫌でも2ヶ月前のキスを思い出してしまって、崩れそうな顔を無理に固定しようと無駄な足掻きをした。
「何か飲む? って言っても、最近ほとんど寝にしか帰ってないからなー。買い置きも全部切れちゃってるんだよね」
「…お前、もしかして、この2ヶ月ずっと研究室に篭ってたのか?」
「んー? うん、教授の手伝いとかゼミの新入生の調整とかが重なってて」
「…」
嘘だ。本当はもっと帰れたはずだった。リヴァイに会おうと思えば会える程度だった。だけど正直に言って逃げているとは思われたくなかった。
…いっそ逃げていたと言った方がいいんだろうか? あのキスが忘れられないから貴方を避けていたと。何も考えられなくなるから逃げていたと。言ってしまってもいいんだろうか?
貴方が好きだから、キスされてびっくりしたと。そう正直に言ってしまえば。貴方は私を女だと気付いてくれる?
「うん? どーしたのリヴァイ? この前の残りのスコッチならあるけど」
急に黙ったリヴァイを振り返ると腕を掴まれた。…痛い。リヴァイは身長こそ私より低いけれど、体の各パーツは全部私より大きい。今私の腕を掴む手も大きくて強くて、…痛い。
「…リヴァイ?」
「…この前は」
「え?」
何をしてるんだろう。どうしてリヴァイは私の腕なんか掴んでるんだろう。どうしてリヴァイは突然2ヶ月前の話を始めたんだろう。どうしてリヴァイは――
「急で悪かったとは思ってる。だが、酔った冗談じゃなかった」
――こんなにも熱い目で、私を見ているんだろう?
大きな手。低い声。広い胸板。鋭い目。熱い息。そのどれもが、リヴァイが『男』だと主張してる。今まで見たことのない顔で私を――
「――好きだ」
腕を掴まれて逃げられなくて、好きだと言われてキスをされた。
ここまでされたらもう、完敗するしかないじゃないか。