ティーカップではなくマグカップ。飴色ではなくこげ茶色。その日の午後のお茶の時間、彼の主であり恋人でもある女性が手ずから入れてくれた飲み物は、とても珍しいことに紅茶ではなかった。
「これは…、ホットチョコレート、ですか?」
「はい。チョコレートはお嫌いでしたか?」
「好き好んでいるわけではありませんが、いえ、特に嫌いと言う程でもありません」
「なら良かった!」
どうぞ、と視線で促され、勧められるままに口に運ぶ。今までホットチョコレートを口にする機会もなかったので知らなかったが、チョコレートをそのまま液体にしたような物ではないらしい。牛乳か何かを加えて口当たりを滑らかにし、またブランデーを加えて香り付けもしているようだった。
濃い味のチョコレートに合うようにお茶うけのお菓子はチュロスを添えている。一口、二口とハリーが口にするのを見て、キエルは満足したように息を吐いた。
「貴女はホットチョコレートがお好きだったのでしょうか?」
「え?」
「とても幸せそうに、飲んでいらっしゃる」
「ええと、それは…」
キエルが笑顔を綻ばせたのは自分がマグカップに口に付けた時ではなく、ハリーが飲んだのを見届けたからだ。的外れの指摘をしていると分かった上でハリーはそう問いかけた。どうやらこのホットチョコレートを自分が飲むのには何らかの意味があるらしい。
言おうか言わまいか、キエルは少しの間視線を彷徨わせて躊躇っているようだった。絶対に言ってはいけないことならばこのような態度は取らない。言ってはいけない、ではなく、言うのが恥ずかしい、という態度だ。そんなところも可愛らしい、と内心1人で惚気つつ、キエルがちらちらと視線を向けている方向の1つにハリーも目を向けてみる。
実のところ、ハリーには心当たりがあった。先日地球に降りた折、リリ嬢との歓談で出た話題だ。だがその時ハリーは傍に控えていたのではなく、偶然通りかかって断片を耳にしただけだった。おそらくキエルはハリーが耳にしたことに気付いていないだろう。
知らないふりをして彼女を困らせたい訳ではない。照れている彼女が可愛らしいから黙っているだなんて、そんな意地の悪いことを私がする筈がないだろう。
もしかしたら、という予想はあるが、あくまで予想でしかない。はっきりとした理由を知りたいから彼女の答えを待っているだけだ。
己に言い訳をしつつ、彼女の言を待つ。たまには紅茶以外の飲み物も気分が変わっていいかもしれないと思ったのです、と言い訳じみた言葉から始まった説明は、ハリーの表情を緩ませるのに十分すぎる威力を発揮したのだった。
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日本のバレンタインの習慣が何らかの形で残っていたのをリリ嬢が誰かから聞いて、それをリリ嬢がキエルとの歓談中に話題として出して…という流れ。