喧嘩をした。
原因はどっちが悪いって言うものじゃなくて、多分どっちも悪い。
茶を急須から湯呑に注ごうと箸を置いた。ことり、って小さい音なのに、異様に大きく部屋中に響いた気がする。理由は簡単だ。この家には今俺1人しかいなくて、他に物音が何もないから。
「…」
最近、夕飯を1人で食べることは少なくなってた。父さんと食べたり、総士と食べたり。時々だけど喫茶楽園で賄いを食べて帰ってくることもある。
今晩父さんは帰ってこないって言った。総士と食べる約束もしてない。だから俺が作るのは1人分で良かった筈だった。なのに何故か、何も考えないで適当に作った晩御飯は、2人分の分量があった。
…余った分は明日の朝食べることにする。今だってちょっと頑張れば2人分食べられないこともない。
1人がさみしい、なんて。子供みたいな。
別に1人で食べることがない訳じゃない。父さんとも総士とも時間が合わなくて、1人で食事することもある。子供じゃないんだ、別に一人でも平気で1人分だけ作って食べられる。なのに今、こんなにも沈黙が堪えるのは。
必要最小限の文章で用件だけを伝えられた。
ああ、とだけしか答えなかった。
もう用は無いって無言の態度で即座に立ち去られた。
振り返りもしないその背中に、声を掛けようかと思った。なのに掛けられられなかった。
だから。
「〜!」
手早く残りを口の中に詰め込んでお茶で流し込んだ。食器はシンクに放り込んでおく。片付けなんて二の次だ。何なら明日になったって構わない。
会いに行くのに必要なものなんて何もない。どうしようもなく1人が堪えて、どうしようもなく会いたい。理由なんてそれだけで充分だ。
喧嘩をした。
原因はどっちが悪いって言うものじゃなくて、多分どっちも悪い。だから。
どっちも悪かったから、どっちも謝る為に、会いに行く。
◆ ひんやり、ぽかぽか。(葛葉ライドウ/雷堂×ナルミ) ※雷堂×ナルミ(♀)です。
二日酔いの頭に外から帰ってきたばかりの少年の冷えた手は非常に良い。
あたしは頭が冷えて気持ちいい。少年は冷えた手が暖まって気持ちいい。お互いに利点しかない素敵な状況だ。
ただ残念なことに、少年はどうにも落ち着かないようである。視線が定まらず、もぞもぞと体を揺らし、いかにも居心地が悪そうだ。
「…所長」
「んー?」
「我はいつまでこうしていればいいのだ?」
「んー、もうちょっと。雷堂ちゃんの手が温まるまで?」
「ならもう充分、」
「だめだって。まだ冷たいでしょ、ほら」
おでこに触れている手の平はそこそこ温まっているけど、手の甲や手首はまだ冷えたまま。離れようとするのをとどめる為に掴んだ手首はひんやりとしている。外気に晒された少年の体温が室温まで上昇するのはまだ先、だけど。
「…っ」
あたしのおでこに温められた手の平以上に、紅潮した頬はきっと温かいんだろう。手で触れて、もしくは頬を寄せて確かめてみたいけど、流石に逃げられちゃうような気がするんで、自重。
手の平をおでこに引き戻して、また頭を冷やす。
ひんやり、ぽかぽか。冷たくて気持ち良くて、暖かい気分になれる。
ああ、なんて幸せなんだろう。この調子だといつもより早く二日酔いも引いてくれそうだ。
◆ My wish, only of my wish.(TIGER & BUNNY/兎虎) とても安らかとは言えない寝顔で、それでもこの人は眠っている。眠くなくても寝なきゃ体力が回復しねぇからな、と苦虫を噛み潰したように。いざ突撃する時に寝不足で元気が出ませんー、なんて冗談にもならねぇだろ、と。
僕は何も言わず、精神安定剤を渡した。一般の薬局でも売っている軽い物で効能は殆どない。期待できるのはプラシーボ効果くらいのものだ。微量の睡眠導入剤も含まれているから少しは寝やすくなれますよ、と言うと、悪いな、と一言、水も待たずに飲み込んだ。…効果があったのか無かったのか、寝入りは早かった。
夜明けまであと5時間。この人ほど疲れてはいないとは言え僕も眠って体力を回復するべき時間だ。だが眠ろうとは思えなかった。このまま眠れるとは思えなかった。
…両親の仇を討つ。これまでの人生をそれだけの為に費やしてきたことに後悔はしていない。
NEXTに生まれたのは幸いだった。ヒーローになれば犯罪者に関わる機会に恵まれる。司法局との繋がりも持てる。顔を売り名前を売れば情報も集めやすくなる。
だからヒーローを目指した。格闘技を身に付けた。学業の成績も上位を目指した。ヒーローアカデミーは首席で卒業し、マーベリック氏の協力を得て、ヒーローになれた。両親の仇も、ついに見つけることが出来た。
だけど、それだけだ。
目的の為だけに生きてきた。まともな友人関係も恋人関係も何も作ってこなかった。他人を排斥して生きてきた。だから分からない。こういう時に何を言えばいいのか、何をすればいいのかが全然分からない。
お人好しで、他人の為に動ける人だ。どんなに馬鹿にされても、どんなに叩きのめされても、絶対に自分の信念を曲げない。誰かが苦しんでる。ただそれだけの理由で、自分とは何の関わりもない他人でも、何があっても助けようとしてくれる人。
…散々馬鹿にして、散々拒絶して、それなのに、僕を助けて支えてくれた人だ。
僕はこの人に助けられたのに、僕はこの人を助けられない。僕はこの人に支えられているのに、僕はこの人の支えになるようなことは何も出来ない。
僕とこの人の差は年齢の差だけじゃない、生き方の差だ。この人は沢山の人と関わり続けて生きてきたんだろう。僕は誰とも関わらずに生きてきた。その差が、今この状況だ。
して貰ったことを僕は出来ない。この人を助けたいと思うのに。――この人を支えたいと思うのに。思いだけが肥大して、やり方は全く分からない。
「…虎鉄さん」
支え方も、触れ方も。何も分からない。ただ思いだけが肥大していく。
この人を助けたいと思うのに。――この人が欲しいと思うのに。
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何か色々あっておじさんが滅茶苦茶凹んでる時、と状況は適当に想像してください。
髪が揺れた。一騎の肩に触れたそれは柔らかく、優しく一騎を撫ぜた。
一騎は自然と微笑んでいた。自分の肩に力を預けて目を閉じる総士は、とても穏やかに見える。穏やかに力を抜いて、自分を頼りにしているように見える。一騎にとってそれは何よりも嬉しいことだった。
「…総士」
「…ん、」
僅かに声が漏れたが、総士は目を開けなかった。また風が吹く。総士の髪を揺らす。夕日に照らされた髪は、いつもよりも輝いて見えた。
「…眠ったのか?」
返事はない。体に力が入った様子もないから、本当に眠っているのかもしれない。帰宅途中だったのだが、それでもいいか、と一騎は視線を空に向けた。
西の空に日が沈もうとしている。雲はどれもが朱色に染まっている。何も遮る物のない空も海も赤く、紅く一色に。
しゃらり、と総士の髪が揺れる。今度は風の仕業ではなく、一騎の指が浚ったからだ。肩よりも少し長い薄茶の髪。さらさらと自分の指から逃げていく。総士を起こしてしまわないよう慎重に、一騎はその髪に唇を押しあてた。
「…」
ぴくり、と僅かな身じろぎがあった。だがまだ一騎の肩にもたれたまま動こうとしない。一騎はくすり、と小さく息を吐いた。
「きれいだな」
「…」
髪を梳いて、もう一度口付ける。ただ真っ黒なだけの自分の髪とは全然違う。髪だけじゃなくて何もかもがきれいだ、と言外に含ませて、一騎はもう一度、きれいだと繰り返す。
「…馬鹿か、お前は」
「馬鹿って何が?」
体は一騎に預けたまま、総士はその端正な顔を一騎に向けた。髪と同じ薄茶の瞳は呆れたように細められている。
「何がきれいだ、だ」
「いいだろ。きれいだって思ったんだから」
「男が言われても褒め言葉じゃない」
「褒めてるよ」
総士は男性にしては線の細い体型だ。やや怒りの色を濃くしながら見上げる視線を正面から受け止めつつ、もしかして気にしてるのかな、と一騎は思う。
「言っている方は褒め言葉のつもりでも受け取る方が不快に思ったら、それは侮辱の言葉に成り得るんだ。撤回しろ、一騎」
「撤回って。そんな大袈裟な」
「…」
「…。分かったよ、撤回する。総士はきれいじゃない。
…きれいだって言うよりきれいじゃないって言う方が侮辱じゃないのか?」
「構わない」
ふい、と総士は顔を正面に戻した。一騎からは総士の表情が見えなくなる。見えるのは総士の後頭部、一騎はそこに口付ける。
「…一騎」
「うん?」
「さっきから何なんだ、お前。何かおかしな物でも食べたのか?」
「昼飯から何も食べてないけど」
いつになく総士に触れたがっていると一騎も自分で分かっていたが、総士の言うようにおかしな物を食べた記憶はない。何となくそういう気分になっただけとしか言えない。総士は一騎に預けていた体を起こした。先程までの怒りは鳴りを潜めた怪訝そうな表情で、一騎、ともう一度問いかける。
「…あ、そっか」
「何だ?」
離れた熱を逃がすまいと腕を伸ばす。総士は抵抗しなかった。されるがままに抱き寄せられ、抱き返す代わりに首にかじり付いた。
「…っ、ほら、今、夕方だから」
「だからどうした」
髪に指を差し入れて強く抱きしめる。総士も腕を一騎の背に回す。二人の間に風が通ったのは一瞬だけ、密着した体が二人の熱を伝え合う。
「逢魔が刻って言うだろ。だから、変な気分になったのかも」
「…お前は毎日夕方になる度に変な気分になるのか?」
「違うけど、そういうことにしておく」
「馬鹿か…」
一騎の髪がくい、と引かれる。引かれるままに首を落とし、差し出される唇を享受する。唇だけの接触がもどかしくて、一騎は自分から舌を差し入れた。一騎が入ってくるのを待っていたかのように総士はたやすく受け入れ、絡め、貪り合う。
「…総士も充分おかしくなってないか?」
「お前に当てられたんだ」
は、と吐いた息ごと飲み込んで。
互いの熱は混じり合い、いつしかどちらのものとも分からなくなった。
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ペーパーより再録。
夕焼けの中でいちゃいちゃしてる2人が浮かんだので。時間のせいにされて、夕方もいい迷惑でしょう。
灰皿を用意しておく。
箱から一本取りだして、そのまま咥える。火が風に揺れないようにライターを手で覆ってから着火。先端を火で炙り、息を吸い込んで空気を通らせる。
ジジ、と小さな音。紙の部分が赤く燃える。煙は先端から上へ、フィルターを通じて俺の肺へ。
鼻の奥をつんざく刺激臭。舌がチリチリと焼ける感触。
最初は不味くて仕方なかったこの苦さもいつの間にか慣れていった。
「…意外だな」
「総士?」
開け放したままの襖の傍に総士が立っていた。いつ上ってきてたんだろう、全然気が付かなかった。そんなに集中してたつもりもないんだけど。
「お前が煙草を吸うとは知らなかった」
「ああ、これか?」
そう、と総士が頷くのを見てから、もう根元近くまで短くなっていたそれを灰皿に押し付ける。窓際で煙は外に逃がしていたから部屋にそんなに籠ってはないと思う。俺の口の中にはまだ残っているけど、それもすぐに消える。
「愛煙家って言うほどは吸ってない。一箱を開けても2、3ヶ月くらいは平気でもつくらいだよ」
「…煙草のことはよく知らないが、開封してから2、3ヶ月も置いておいていい物なのか?」
「良くないんじゃないかな。腐ったりはしないけど、すぐに湿気る」
これもそう、と箱を見せてみる。側面に書いておいた開封日は1カ月半前、残ってる本数は12本。当たり前だけどついさっき吸った1本も完全に湿気ていた。
「…これは、美味いと思って吸うものなのか?」
「総士は吸ったことがないか?」
「無い。必要性を感じない」
「そっか。
俺も美味しいから吸ってるのとはちょっと違う。何となく気分転換したい時とか、そういう時のカンフル剤代わりなんだよ」
「…よく分からない」
差し出した煙草の箱をまじまじと見る。興味深げと言うよりも理科の実験で顕微鏡を観察してるみたいな動作だった。変に真面目になっているのがおかしくて、俺はつい吹き出してしまう。
「一騎?」
「味わってみるか?」
「いや、僕は――」
言葉を塞ぐ。頭を抱き寄せて逃げられないようにする。煙草の味が残ったままの俺の舌を、総士の味覚に味わわせる。
そんなに長くしていたつもりもなかったのに、唾液が口の端から零れていった。指でそれを払う。総士は憮然として、言った。
「…不味い」
「…どっちが?」
「…」
答えないで総士は顔を逸らした。少し頬が赤くなってたことは気付かなかったことにして、俺はもう一度、総士に煙草の味を差し出した。
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ペーパーより再録。
酒と煙草を呑ませてみたかった。酒はまた別の機会に。
2人とも勿論20歳以上です。未成年だったら総士が怒りますから(笑)